ベルリンのITスタートアップで働くジャバ・ザ・ハットリの日記

日本→シンガポール→ベルリンへと流れ着いたソフトウェアエンジニアのブログ

有名レストランである映画監督と出逢い、自信がいかに大切で今の私にはそれが無いことを痛感した

ポルトガルを旅行した際にとある有名レストランに行った。そこで偶然にある映画監督と席が隣になりいろいろ話して、自信というものがどれほど大切でカンタンには手に入らないかを思い知らされた。

ポルトガルはひとことで言って素晴らしい国だった。料理が旨く、街が美しく、男も女も愛想が良くてセクシーで、経済状況は悪いかもしれないが、誰もが人生を楽しんでいるようだった。美味いモノを食うことしか趣味の無い私は旅行前に入念に調べて、ある有名レストランを予約した。

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レストランに入った時から中央の席で食事をしていた男女のカップルがやたらとカッコいい2人で目についた。その男女はいい感じのレストランの中でもひときわ目立っていたからだ。ウエイターが案内してくれた私たち家族の席はその男女の隣のテーブルだった。

そこの料理はどれも素晴らしく、私はレストランの席でテンションが上がりまくっていた。隣の席に座っていた男女は英語で話をしていたので自然と私も彼らと会話を交わすようになった。するとその彼が映画監督であることが分かった。「おお、そうなんだ」と言いながら、なにげにiPhoneでググってチェックすると彼がベネチアやカンヌで賞を取っている世界的に活躍している映画監督であることが分かった。

「ちょっと今、ググってしまったんだけど、アンタ世界的に活躍してるみたいだね」と言うと彼と一緒に食事していた女優みたいなキレいな女性が笑って「そうよ。新しい彼の映画が先月、日本でも公開されたのよ」と言っていた。

料理は最高に美味いし、周りの人たちとの会話も楽しいし、何ひとつ文句の無い時間を過ごしたのだが、私にはひとつだけ気がかりなことがあった。

私が個人で作ったウェブアプリがあって「ホットチリレビューズ」と名付けた映画レビュー総合サイトだったのだ。今20万件ほどの映画レビューが入ったサイトになってる。当然ながら隣の席に座っていた映画監督のレビューもその場で「ホットチリレビューズ」でチェックした。

そしてiPhoneをその映画監督に見せながら「ねー。ちょっとこれ見てよ。この映画レビューサイト、オレが作ったんだ。20万件のレビューの中にあなたの映画のレビューもたくさん入ってるよ。いいレビューが入ってるよねー」

とは言ってない。

映画レビューサイトのことは一切言ってないし、言えなかった。

彼に出会う前は「個人開発のサイトとしてはまーまーいい線いってんじゃね? 収益も一生遊んで暮らせるほど出てる訳じゃないけど、まーまーいいんじゃね?」ぐらいの認識だった。しかし彼の映画監督として打ち立てた実績と自分のサイトの実績があまりにも違い過ぎて、言い出せなかった。それは心の奥底にある自信の無さでしかない。

世の中には誰にでも気軽に話しかけられる人も居る。例えばトム・クルーズみたいな映画スターに会っても躊躇することもなく「トム・クルーズさん!あなたの映画のファンです!サインください」みたいなことが平気で言える人。

しかしそれにはそこまで自信を必要としない。なぜならその図式はあくまで

トム・クルーズがプロデュースして出演した映画 => それを観るファン

であるだけだからだ。矢印の方向が一方向でしかない。

そんなファンが果たして矢印の方向を逆にしても堂々と同じテンションで言えるだろうか?例えばトム・クルーズに「これは私が書いた映画の脚本です。一度読んで出演を検討してもらえますか?」と言うようなことだ。

自分で書いた脚本 => トム・クルーズが読んで検討する

という図式にしても堂々とそれを出すには、その人に「私にはトム・クルーズが出演に値する脚本が書ける」という自信が必要になる。まともな神経の人なら、自信も実績も無いのに脚本を差し出さないはずだ。

レストランで出会ったその映画監督はなんのためらいも無く、ごくごく普通に自分の映画について話をしてくれた。彼の会話は知的でユーモアがあって、どんな人でも魅了されるだろう。素敵な会話と美味しい料理で見過ごされがちだか、私にとっては彼の心の奥底にある「いい映画を撮っているんだ」という静かな自信は今でも強烈な印象として残っている。そうした自信は内側から湧き出るものであって、偉い先生が「おい、君。自信を持ちたまえ」なんて言っても持てる訳がないし、作ったウェブアプリで**億PVに達したら自信が付きます、という基準も何も無い。

いろんな思いが重なって、私はあのポルトガルの素晴らしい料理と出会いをくれたレストランのことを一生忘れないだろう。

インターネットが出てきてどんなものでもネット上にアップすればそれは即「公開」になる。すると生身の人間を目の前にして「これが私の作ったモノなんです」と誰かに紹介する感覚が薄れてしまう。それはネット上に公開することと似ているようで、まったく違う。本当の意味で誰かに自分の創ったモノを紹介するには自信が必要になる。相手がいいモノを創っていたら、それに相応するぐらいの自信が無ければ難しくなる。

どんなに英語ができるようになっても、どんなに有名なレストランで食事をしても、たった一言「これ、私の作ったモノなんです」というのがどれほど大変か。
いつかあの映画監督のようにどんな人にも自分の創ったモノを紹介できるようになろう、と思った。

その映画監督のレビューリンクはここには貼らない。目の前に映画監督が居る時はなにも言えなかったのに、こんなブログでリンク貼って「この人ですー」ってあまりにもショボ過ぎる行為に自分で自分がイヤになる。オレの品性はそこまで落ちてねーぞ、ということで頑張って自信を付けて、いつかちゃんと紹介させてもらう。


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インスタグラムに命賭けてる人ならポルトガルはおすすめ。どこで写真撮っても絵になるし。



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YAGNIはソフトウェア実装の原則。直訳は「そんなモン要らんって!」

YAGNI (You Ain't Gonna Need It) 直訳は「そんなモン要らんって!」
YAGNIの原則は「機能は実際に必要となるまでは追加しないのがよい」とすること。後で使うだろうという予測の元に作っても、実際に使われるのはほんの一部。ソフトウェア実装において「予期しない変更」は常についてまわり、できるだけ設計をシンプルにするべき。現実の問題に集中して余計なモノを足さない。
それがヤーグニ。

会話の中での使い方は「それってヤグニだろ」とか「なんでって?だってヤグニだし」無駄にカッコつけて「そこはですね、単一責任の原則に反してまして。。。」なんて言うよりよほど親しみがあっていい言葉だと思う。

日本の中学校の先生からマルをもらえる英語に直すと「You are not going to need it.」実際に英語圏の職場で話す場合は「よーえいん、がな、にーでぃTっ」

YAGNI物語

エンジニア歴5年目に到達したA君は持ち前の技術を活かすべく海外転職を狙っていました。見事にロンドンのIT企業への転職が決まり、意気揚々とイギリスにやってきました。

慣れない英語を駆使しながらも、自己紹介を終えて自分のデスクにつきました。するとA君とチームを組むことになった金髪美女プロジェクトマネージャーのB子が話があるので会議室に来て、と言いました。2人っきりで小さな会議室に入るとB子の色気と強烈な香水の香り、UK訛りの英語に悩殺されそうでした。そうした中でなんとか理解したのは以下のこと。

  • 新しいウェブサービスのプロトタイプを作って欲しいの(ハート)
  • それは大企業とのコラボプロジェクトなの(ハート)
  • アタシが相手企業の重役達にプロトタイプを持ってプレゼンしなくちゃいけないの(ハート)

A君は他にも色々はっきりしなくて聞きたいことはあったけど、英語もいまいち分からないし、これ以上会話を続けるとB子の短いスカートから伸びる太ももと乳の谷間に悩殺されるので「分かりました」といって会議を終了しました。

張り切っているA君はまずはReactでプロトタイプを構築することにしました。ReactのState管理には当然Reduxとしました。クライアントサイドだけでなく、ちょっとしたサーバーサイドの機能も要るだろうな、と考えたA君はRailsサーバーも立てました。するとAPIが必要になります。そこはRESTfulではなく、流行りのGraphQLにしました。かっちょいいー。こんな素敵なプロトタイプを見せたらB子とニャンニャンできるかも、と想像してほくそ笑んでいました。

セクシー金髪美女のB子がA君に聞きました。「プロトタイプできた。見せてくれる?」
A君が誇りを持って見せた、プロトタイプをざっと確認したB子はトップページのスクリーンショットを取って、その画像を自分のプレゼン資料に貼り付けて言いました。「ありがと」

その日の晩、A君がロンドンのパブでひとりで飲んでいるとB子が同じ会社のイケメンマネージャーと一緒にいました。彼らはA君に気付いていません。彼らがA君の名前を言っているのが聞こえてきたので、気付かれないようにそっと聞き耳を立てました。

イケメン「最近入ったA君、どうだった?」
B子「意欲はあるんだけど、作業が超遅いの。単にHTMLでプロトタイプのトップページ作るだけなのに、なんであんなに遅いんだろ。ああいうのに限ってベッドの上ではやたら早いのよね」
イケメン「あんなのじゃなくてオレがかわいがってあげるよ」
B子「ニャンニャン」

A君はがんばってムダに実装したReact+Redux+Rails+GraphQLを思って、ひとしれず泣きました。
ヤーグニ!おわり。


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どんなに頭が良くても英語ができなければ賢いチンパンジー

英語ほど誰でも多少の労力で手に入って、お金も生活の質も劇的に向上させてくれる技術は他には無い。それなのに時々ウェブ上で見かけられる英語軽視の論説は一体なんなんだろう。

特に英語圏での海外暮らしは「どんなに頭が良くても英語ができなければ賢いチンパンジー」という現実に向き合わなければならない。「英語ができなくたって。。。」「英語なんかよりもずっと大切なことが。。。」などという言い訳にまったく意味が無い現実に向き合い続けることで見えてくるものもある。端的に言うと「英語の重要性」だ。これは強調しても強調しすぎることがない。

そしてこの傾向は例え日本に暮らしていたとしても広まっていくだろう。これからの若い世代にとって英語軽視の発想は害悪でしかないので、ひとつひとつ反論したい。

英語軽視その1)教育においては英語ではなく身体のバランスや創造力の育成を重視している。

誰が英語ができるようになると、身体のバランスを崩して、創造力が欠如するって言った?
身体のバランスなんて関連性が無さ過ぎて反論のしようがない。そんなモンが重要と思うのなら一輪車にでも乗って鍛えておいてくれ。だからといって英語を軽視するのは頭おかしい。
創造性については英語は創造性を加速させる。よく言われるように創造性とは新しい組み合わせのパターンだ。そのパターンを創るためには情報が要る。英語ができることで、昨今のほぼ英語フォーマットになっている世の中の情報を素早く仕入れることが可能になり、たくさんの情報があることで組み合わせパターンをより多く創出することができる。

英語軽視その2)英語ができてもバカはバカ。

おーそうかい。じゃあバカなりにせめて英語だけでもできた方がマシだろう。こうして「英語ができても。。。」と言ってなにか得でもあるんか?
人を揶揄する暇があるなら、英単語のひとつでも覚えたらどうかね。
こういう発想を持つ人には「賢いチンパンジー」の現実が見えていない。

英語軽視その3)日本に居るかぎり英語は要らない。

これからのグローバル資本主義社会で生きていく上では居住国に関係なく英語が必須になる。日本に在住している日本の人の仕事が外国に奪われる社会になるからだ。地元密着型の仕事であっても、その顧客ターゲット、従業員に外国籍の人が増えた際にいつまでも日本語だけでOkとはならない。
若い世代の場合、その人が一生を日本で暮らすという保証はどこにもない。とてもいい仕事が突然にマレーシアから来た、なんてことが誰の身にも起こる可能性がある。そんな話が来てないのは単に英語ができなくて、いい仕事の可能性を自ら踏み潰しているのかもしれない。

英語軽視その4)もうすぐ自動翻訳ができるから語学を勉強する意味ない。

その「もうすぐ」っていつなんだ?これを「3年以内だ」とか言うヤツが居たらそいつは完全な嘘つき。この分野の技術予想は誰にもできない。現実的には「ひょっとしたら来週かもしれないし、20年後かもしれない」というのが正確な解答になる。カナダの研究者チームがディープラーニングを実装したAIで革命を起こしたように、ブレークスルーがいつどこから出てくるかなんて誰にも予想できない。そんないつ来るかも分からない技術に賭けるのはリスクがデカすぎる。確実なのは今からあなたが英語を勉強すればスグに英語能力が手に入るということだ。

英語軽視その5)TOEICで高得点とっても英語なんて話せるようにならない。

その通り。もっと勉強しましょう。



こんなのにひとつひとつ反論しても大して意味も無さそうなので、この辺でやめておく。

最後にひとつ言いたいのはITエンジニアの場合について。しょうもない理屈はどーでもいいから、カネの話をしたい。
ITエンジニアに英語というスキルを加えるだけで、収入が上がる。英語圏移住とセットにすれば爆上がりと言ってもいい。英語というのはIT系の新しい技術とかプログラミング言語をマスターするなんてことよりもよほどレバレッジが効いていて効果バツグンなのだ。ITエンジニアで英語ができないまま放っておくなんて、自らのチャンスをドブに捨てているようなモノ。

常に日本語でググって調べ物をしていたとしたら、その手を止めて英語学習に時間を割り当ててみるのはいかがだろうか。変にカッコつけて「これからのエンジニアというものはー」なんて理想論の話なんかじゃなくて、単にカネを得るためとして。英語ほど費用対効果の高いモノは他には無いのだから。

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