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どこにでもある場所とどこにもいない私(著:村上龍)書評

移転しました。

「なぜ海外で暮らすことにしたの?」「なぜわざわざまたヨーロッパなんかに家族を連れて行くの?」こうした質問になんとか自分なりの考えを伝えるのだが、いつもしっくりこない。そんな時にいつも思い返す本が村上龍の「どこにでもある場所とどこにもいない私」。

どこにでもある場所とどこにもいない私

どこにでもある場所とどこにもいない私

コンビニや公園、駅など日本のどこにでもある場所を舞台にした短編集。どの主人公も閉塞感を感じて、そこから自由になるために海外に出ようとする。その海外に出る直前の様子を描いている。

私は「なぜ海外で暮らすことにしたの?」の質問を受けることが多く、それに対して「前から住みたいなーと思ってまして。。。」とか「世界のことがもっと知りたいわけでしてー」と返答しているが、それらは核心をついてはいない。どちらかと言うと面倒なのと上手く表現できないから、相手が納得しやすいように言っているだけ。本当はこの本に描かれているような日本を包む閉塞感があって、そこから開放される手段がたまたま海外だったようだ、とこの本を読むと気がつく。


収録されている短編のひとつでは高校生の主人公「ぼく」がコンビニで自分の兄と父親について思い返すシーンがある。「ぼく」は父親を「父親」と表現し、兄は「あいつ」と表現していることから両者の関係が読み取れる。

ぼくの父親は東京と埼玉の境目にあるデパートに勤めていた。父親は中部地方の観光地の出身で、誰も知らないような都内の私立の大学を出て、田舎には戻らず、デパートの社員になり、20代の後半にどこにでもいるような女と結婚し、兄とぼくが生まれた。ぼくが育った町は典型的な新興住宅地だった。
<中略>

小さいころ、ほくは兄と比べられて叱られてばかりいた。兄は父親似で真面目な性格で、よく勉強した。小学校のころから塾に行っていたが、東京の私立中学の受験に落ち、地元の公立中学に入って、地元の進学校に進み、結局父親と同じようなどうしようもない私立大学に入った。半年で大学を辞め、家でぷらぷらするようになった。
<中略>

おれはだまされていたというのが兄のロ癖だった。
大学に入ってからだまされていたと気づいたんだがもう遅かった。思い出してみると、中学のときオヤジの勤めているデパートに行って、働いている家具売場名であいつがどういう仕事をしているのかをじっと眺めたことがあった。あいつはレジと売場を往復して、客をソファに座らせたり、勉強机の備え付けのライトのスイッチを入れたり、洋服ダンスの両脇の戸を開けたり閉めたりしていた。売場ではずっと笑っていて、レジに戻ってくると暗い顔になった。おれはまだ子どもだったがあんなことをして何が面白いんだろうと思った。
おれの小学校からの同級生で、高校からアメリカに行ったやつがいるんだけど、大学に入った夏に久しぶりにそいつと会った。そいつはペリカンで有名な国立公園のあるアメリカの町に住んで、鳥が好きになって、大学で生態学を勉強していた。ニューギニアで3ヶ月の夏期講習をしているんだと言った。
将来は中米でフラミンゴの保護をしたいと言っていた。おれにはわけがわからない話だった。
お前はまだ間に合うから何かを探せ、と兄はぼくに言った。オヤジやオフクロや教師の言うことを信じたらダメだ。あいつらは何も知らない。ずっと家の中とデパートの中と学校の中にいるので、その他の世界で起こっていることを何も知らない。

今は海外でそれなりに充実した生活を送っているが、私はいまでも上記でいう「オヤジ」の要素もあると思うし、もちろん「フラミンゴの保護をしたい同級生」の要素を持っているとも思う。「なぜ海外で暮らすことにしたの?」の質問に対して曖昧な答え方しかできていなかったが、実際にはこの本にあるオヤジと同級生の対比があった。「オヤジ」として表現される「その他の世界で起こっていることを何も知らない」が怖くて、「同級生」に表現される「将来は中米でフラミンゴの保護をしたい」にあこがれて海外に出た。

あとがきに村上龍氏は「登場人物固有の希望」について言及している。どの主人公も日本社会全体の希望ではなく、その人だけの希望に焦点を置いている。この本は海外に出てしまった後ではなく、その直前の状態を描くことで日本を包む閉塞感をあらわにして、ほんの少しだけある個人的な希望の芽のようなものを逆に際立たせている。海外に出るだけで全てがOk、とは決してならないことは百も承知。それでもそのわずかな希望がキラキラして見えてしまうこの短編集が好きだ。
おすすめです。

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