ベルリンのITスタートアップで働くジャバ・ザ・ハットリの日記

日本→シンガポール→ベルリンへと流れ着いたソフトウェアエンジニアのブログ

転職回数は多い方がいい。「転職は3回まで」なんて言ってくる奴は放っとけばいい

転職回数は多い方がいい。別に転職回数を獲得ポイントのように考えて、ポイント数をたくさん稼ぐほどいいと言っているのではない。転職に伴って得られるスキルが重要でそれは経験がないと手に入りにくい。しかしそのスキルが手に入ったら、まーまー仕事も住む場所も自分で選べるようになりますよ、という話。

ちょっと前なら「転職回数は3回まで。それ以上になると履歴書に傷が付く」って野球のストライク数みたいに転職を3回でカウントしていた。今でもそんな習慣が残っているのだろうか。

日本での社畜エンジニアに嫌気がさして、シンガポールのITスタートアップへ転職し、その後もシンガポールのIT界隈で4回ほど転職を繰り返し、5回目の転職でベルリンのITスタートアップに移った。日本に居た頃から数えれば3回なんてとっくに使い切っている。英語圏のITスタートアップという転職市場についてしか言えないが、転職回数の多さが不利に響いたことは1度も無い。むしろこうして転職を繰り返していなければ国境をまたいで職場と生活の場を移すスタイルは手に入らなかったことは断言できる。

こちらの記事にも書いたが私は日本からシンガポールのIT企業へ転職する際になかなか英語での転職活動がうまくいかずに苦労した。苦労の末に入った最初のシンガポールのIT企業はそれなりに給料もよくて同僚とも親しく仕事をしていたし、なんの不満も無かった。あのままひとつ目のIT企業で満足し、そこにずっと勤め続けることも可能だった。
でももしそうしていたらある日に「そろそろヨーロッパに住まいを移して向こうの会社に転職しようかな」と考えた際にかなりうろたえただろう。日本からシンガポールへの転職であれだけ苦労してまたヨーロッパへの転職で苦労しなればならんのか、と。ひょっとしたらヨーロッパ移住自体を断念していたかもしれない。

そんな風に移動できない人にはなりたくなかったのでどんなに気に入った職場でも重い腰を上げて、転職を繰り返すようにした。そうして転職を繰り返すうちにスーパーエンジニアではなくとも「英語圏ならどこの国に行っても仕事を取ってくることはできるかな」といった経験に伴う自信とスキルは身についた。
それらもあってヨーロッパへの転職は予想に反してすんなりといった。エンジニアとしての技術レベルだけを見ればそんなに劇的な変化はない。変化したのは転職によって得られる「仕事を得るノウハウ」の方だ。具体的には会社の選び方からはじまって、英語の応募書類の送り方、英語での面談方法、入社後のこなし方、英語で同僚と仲良くなる方法などになる。

いろんな会社に出たり入ったりとやってると「会社を見る目」が肥えてくる。特にITスタートアップは玉石混交なのでクソなスタートアップに捕まったらロクなことが無い。「会社を見る目」は本やネット記事を読んだだけで身に付くのではない。本当に自分に合った会社を見つけることはすごく高度で難しいのに、それが軽んじられている気がしてならない。
新卒で1発目に入った会社で転職もせずに「ここが自分に合った素晴らしい会社である」なんてどんな価値基準で言ってんのかまったく不明だ。まず他と比べるだけの経験値が無いし、自分には経験値が無いという自覚もない。

今まで一度もラーメンを食ったことが無いヤツが生まれて初めてのラーメンを食って「このラーメン世界一だわ」って言ったら「え?」となるだろう。「このラーメンが世界一だ」と言うためには旨いラーメン以外にも不味いラーメンや多彩な味のラーメンをいろいろ食った後でなければ分からないはずだ。最初に食った時点で分かるのは「ラーメン」という概念ぐらいで、それがたくさんあるラーメンの中でどのぐらいの位置にあるのかは決して把握できない。ラーメンを例にしたがこれを仕事や職場、住む場所に当てはめて考えて欲しい。

人生の貴重な時間を使ってやる仕事に対して「これ違うかも」とか思いながら続けることなんてまったく非効率だ。住む場所や国についても同じで「ここはアタシに合ってないのかも」となったらスパッと辞めて次に行くべきだろう。それで「やっぱここも合わないな」となったらまたその次に行けばいい。クソまじめに仕事を神格化してしまって「イヤなんだけどがんばらないと」と歯を食いしばってイヤイヤ働くような人にいい物が作れるとは思えない。いい物って作ってる人が楽しんで、集中して、情熱を持って取り組んでこそできる物だ。

転職を繰り返したところでエンジニアとしての技術力が向上する訳ではない。ただそこで向上するのは仕事や国を「自分で選んで移るノウハウ」の方だ。エンジニアという人種は技術編重でこうしたスキルを軽視しがちだが、これは技術力を支えるもう片側の車輪みたいなもので、これらの両輪がしっかり動いていないとダメなのだ。

転職数が増えれば当然ながら就職面談の際に「なんで転職したの?」「その会社でどんなことしてたの?」と聞かれることになる。そこはそれぞれの会社でエンジニアとして何を得て、何をその会社にもたらしたのか、が自分の言葉で説明できればOk。ちょっとした転職面談の際に「Aという会社で**して***をもたらしましたわー」という話をするために何十年も勤め上がる必要は無い。エンジニアなら5ヶ月もあれば話のネタの1つや2つはできるし、それで十分だ。(このあたりを深刻にクソまじめに考えると話がややこしくなる。もっと軽く考えていいし、本当に考えなければならないのは他の分野になる。)

そしてこれらは誰もが知る素晴らしい企業にお勤めの日本のエリート様には少々苦手なようで、そこが個人的にはチャンスだと感じている。日本の大手自動車会社や大手銀行にお勤めでシンガポールに転勤で来られていた日本人を数人知っている。彼らが会社の命令ではなく自分の意思で転職したり、国を選んで移住したという話を聞いたことはない。エリートはこんな風によー分からんITスタートアップをまわって生き延びる戦略を持ち合わせていない。このチャンスは非エリートな場所で泥臭くても楽しく生きようとする人にこそあるのだ。

そしてそのノウハウは言語化が難しいし、経験によって蓄積したノウハウが全て他者にも応用できる訳でもない。ノウハウを得るにはご本人に経験いただく他はない。「ビビってないでやってまえー!」としか言いようがないのだ。
面白そうな会社や住みたい国を見つけたら気にせず突っ込んでいきましょう。多少失敗してもそのうちに経験値が積まれてどこでも生き延びれるようになりますから、という話でした。

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最後まで仕上げられない病

最後まで仕上げられない病というのに侵されいる。原因は単に怠惰である、ということであって別に今になってはじまった病状ではなく昔からだ。
しかし最近は特にひどい。仕事はともかくとして、その他のことが本当にひどい。

  • 途中まで書いて下書き保存したままの書きかけブログ記事 約40本
  • 途中までコード書いて公開にいたらず飽きて放置気味の個人プロジェクト 3つ
  • 途中までコード書いて公開してないRuby gem2つ

「エンジニアはアウトプットが大切」「最後の10%が最もつらいところ。そこを乗り越えなければプロではない」これらのアドバイスはいやというほど聞いてきた。でもそういう正論は怠惰な心に響かない。

とにかく怠惰で最後まで仕上げられない。
40本もあるブログの下書きもあともう少しだけ文章を整えて公開すれば、それなりの考察があって、いい記事になりそうなのになーとは思う。
きっとすごい実績のあるエンジニアとかはこういう最後の詰めの部分まできっちりとやってきて、そういう積み重ねの結果がすごいエンジニアになっているのだろう。

仕事のように締め切りとか、チーム単位でやるプロジェクトのように「やらなければ他人に影響が及ぶ」というのな切迫感が必要なのだろうか?

いやいやそんなことすると「誰にやれと言われたわけでもなくやってること」とは違ってしまい、全体の質が異なっていくだろう。
ブログというのは誰が読むのか知らんが、誰に言われた訳でもないが、なんか書いて公開してしまった、ぐらいがちょうどいい。

ということでこんな駄文でも書かないよりはマシと思って、40本ある下書きを置いておいてまたしょうもないことを書いて公開することにした。
最後まで仕上げられない病は治さないとなー。
どなたか最後まで仕上げられない病の特効薬でもご存知でしたら、ぜひ教えてください。

やり抜く力

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Grit: The Power of Passion and Perseverance

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最後までやりきる力

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  • 作者: スティーブ・レビンソン,クリス・クーパー
  • 出版社/メーカー: クロスメディア・パブリッシング(インプレス)
  • 発売日: 2016/03/02
  • メディア: Kindle版
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英語の技術ブログってなんであんなに同じ話題がやたら多いのか、と思うと共に日本語ブログの独自性について考えた

技術ブログに関しては英語と日本語の両方を読むようにしているが、どちらかと言うと日本語の方が各ブログライターごとの独自性が色濃く出ていて、英語の方は「またこの話題か。」と似たような内容を書かれている割合が高い気がする。

以下の内容の英語の技術ブログはタイトル見ただけで内容が想像できるし、もうクリックしたいという気にならない。でもそんな英語ブログ記事は雨後の竹の子のように次から次に出てくる不思議がある。

  • なぜテストコードは重要なのかという話
  • マイクロサービスがこの世を救う
  • アジャイルがプロジェクトマネージメント天国への切符
  • ウォーターフォールは地獄への直行便
  • ソフトウェアエンジニアのキャリアはこうあるべし
  • TDDテスト・ドリブン・デベロップメントについて
  • シリコンバレーで活躍する女性エンジニアに対する誤解について(あたしはブロンド美女だけど、モデルじゃなくてJavaエンジニアなの。気安くナンパしないで、みたいなの)

エンジニアがブログを書くことを非難するつもりは毛頭ない。アウトプットは大事なことだし、どんどんするべきだ。
ブログは書いた人がなんの編集や制約を受けることなく、いきなり公の場に発信されるため、最低限のマナーに反しない限りどんなに尖った内容でもOkだし、むしろそうあるべきだと考えていた。

それなのに英語の技術ブログがどれもこれもよく似た話題を扱っているように感じるのは私だけなのだろうか?
もちろん鋭い記事もあるし、技術的に参考になる割合は断然日本語より英語の方が多い。ただ独自性という点は英語ブログにはあまり無いように思える。

理由として英語の人気ブログを抽出するシステムの精度がやけに高いのかもしれない。自然言語処理の分野は当然ながら英語の方が日本語よりも精度が高い。そうなると単に炎上気味にアクセスが上がっているクソ記事と本当に有用なことを書いて上がっている記事の区別精度高いのかな、と。有用な内容はある程度似た内容にはなってしまう。

とにかく英語ブログと比較して日本語の技術ブログは「は?それはないだろ」というような記事も含めてとても独自性に富んでいるように感じる。その分、質としては玉石混交だが、そういう各ライターが尖った発想を発表しまくる日本のブログ文化がまーまー好きだ。

ということで技術的に参考にしたり技術習得する時は英語の記事。なんか変な事を考えてる人の記事が読みたい時は日本語というのが目下のスタイルになっている。

「じゃあ、お前のブログ記事にどれだけ独自性があるんだよ?」などと突っ込まれないように独自性ある記事を書かねば、とは思うのだが。。。

ブログのノウハウを語らせたらこの方の右に出る者無し。なによりノウハウを語るだけでなく自ら正攻法で実践されている点がなによりの証明となっている。



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