ベルリンのITスタートアップで働くジャバ・ザ・ハットリの日記

日本→シンガポール→ベルリンへと流れ着いたソフトウェアエンジニアのブログ

英語のプレゼンを成功させるたったひとつのコツ

英語でプレゼンをする際にそれを成功に導くためのコツについての話。

今の勤め先であるベルリンのITスタートアップではエンジニアチームの全員が次のバージョンに盛り込むべきアイデアを色々考えてプレゼンする。ピッチと呼んでいるが、そんな呼び名はどうでもいい。とにかくプレゼンだ。
普通にやってて絶対に盛り込まれるべき機能とは別に「オレだったらこういうのが欲しいな」とか「これを入れたら絶対に当たるぜ」みたいなのを発表する。プレゼンの後、全参加者が点数を付けて高得点を獲得した機能を実際に盛り込む、というようなことをやっている。

これをつい先日と4ヶ月ほど前と2回やった。プレゼンは当然ながら英語でのプレゼンになる。で、成績としては2回やって2回とも私のプレゼンが最高得点を獲得した。

英語圏で働きだして数年になるので職場で使う英語にはある程度慣れたし、英語プレゼンもまーまーマシなレベルになったと思う。数字で評価される場で2回とも優勝したので、そこまでの過程で得たプレゼンのコツなんかを共有しても多少はお役に立てるだろうと考えた。

英語プレゼンの細かいテクニックなんかは抜きにして、そのコツだけをひとことで言うとこうなる。

そのプレゼンに絶対の自信を持つこと

なーんだ、そんなことか、と思うなかれ。プレゼンにおいて自信ほど大切なものはない。ある研究で自信を持って明らかに間違った情報を言う人と、不安ながらに正しい情報を言う人とでは前者の方が遥かに信用される率が高かったという結果が出ている。どんなにいいアイデアもプレゼンにおける自信の持ちよう次第でダメにも大成功にもなるのだ。

仮に英語にハンディがあったとしてもそんな事を少しも表に出してはいけない。だいたい私は英語プレゼンに挑む際に自分が非ネイティブで英語にハンディがあるなんてちっとも思っていない。こう書くとちょっと恥ずかしいが、私がプレゼンする際にはもうプレゼンの天才、スティーブ・ジョブズが乗り移っている状態だ。誰も拍手なんてしていなくても、私の登場と共に会場から割れんばかり拍手と歓声が私の中では聞こえている状態だ。

プレゼン中のちょっとした仕草、「Well ...」の言い方、間の置き方、話す英語のスピード、全てコピーした(つもり)。

ドイツの公園なんかで小さな男の子達がよくサッカーをしているが、自分でゴールしながらドイツの有名選手の名前を連呼して実況しているのをよく聞く。あれはサッカー少年がその有名選手になりきっているのだろう。その少年が本当にプロのサッカー選手ほどのプレーができているかどうかとかはカンケー無い。ただ純粋に成り切っているのだ。あれと同じ。

スティーブ・ジョブズが乗り移った私に不安など何も無い。要は自信マンマンだ。なぜここまで自信を強調するのかというと英語圏に職場を移した場合に普通にプレゼンしてたのでは周りのライバル達に勝てないからだ。

主に英語を使う人達のプレゼンとか何かを発表する際のカラ元気というか、ハッタリというか、威勢というか、根拠の無い自信はすさまじい。「よくあんなショボい内容をそこまで自信たっぷりに披露できるな」と本当に感心してしまう。

英語圏の職場に入ったら本当にびっくりすることのひとつなのでもう一度書く。
よくあんなショボい内容をそこまで自信たっぷりに披露できるな、と感心してしまう奴がいっぱい居る。

ベルリンのインターナショナルスクールに通う私の子供たちも事あるごとに勉強した内容をまとめてプレゼンをする機会が設けられている。「え?また発表するの?ついこの間もやっただろ?」とよく言っている。それぐらい勉強してインプットすることと同じぐらいプレゼンによりアウトプットすることが重要視されているようだ。そうして幼少の頃からプレゼンで鍛えられてきた英語圏の人達は生まれながらにプレゼンのコツを体得しているように感じる。

そんな連中と競争する際に日本的な「控えめ」なんて発想は捨て去るしかない。

以前、アメリカのポートランドで行われた技術カンファレンスのビデオをYouTubeでチェックしていたら発表者に日本人のような名前が見つかった。「日系アメリカ人かな?」と思ってそのビデオをクリックすると発表者は日本の人だった。プレゼンの冒頭で「私の英語が拙くてすみません。でもがんばりますので我慢して聞いてくだい」みたいな内容を下手な英語で言ってて、最初の10秒で観るのをやめた。

別にそのたった一言だけで観るのを辞めた訳でもない。英語とかプレゼンに対する自信の無さがその登場者の表情、ジェスチャー、言葉の抑揚の全てに現れていたので観るきが失せたのだ。自信の無い発表は「これは本当に聞く価値があるのか?」という疑念の原因にもなって、わざわざ時間を使って観てみようという気が無くなる。

どんなプレゼンでも終わった後に質疑応答の時間がある。ちょっといいプレゼンになるといろんな質問が飛び交うことになる。もちろん英語だ。そこで英語に苦手意識がある人だと、まくし立てるように英語で質問されてしっかりヒアリングできなかった時にうろたえてしまう。

そんな時にも自信満々にしていると怯えることなんかない。こっちはそのアイデアのためにずっと熟考してきたのだ。そんなプレゼン聞いて3秒で思いついた程度の質問に負ける訳が無い。
私が前回プレゼンの際に質問を受けて言ったのはこうだった「その質問は**に関することだね。他にもいろいろ意見をいただいたけど私からするとさほど重要には思えないので割愛させてもらう。ここでは**に関して詳しく説明させてもらうよ。それはだねー。。。」という感じだ。別に質問が聞き取れなかった訳でもないし、答えてもよかったのかもしれない。ただここで言いたいのはあくまで主導権は発表者が持つべきで、堂々としていればワガママは許されるどころか、むしろ発表のクオリティを上げる。「テメーのボケた質問はいいから、それより今から言うオレの話を聞け」という態度をされたら、なんかいいこと聞かされている気になるのだ。

内容やアイデアがショボければ練り直さなければならない。少しでも「内容ショボいな」と思ってしまえば自信は手に入らない。英語が苦手なら練習して完璧にしておくべき。話す内容を紙に書いて、それを読むなんて論外だ。そんな葬式の謝辞みたいな方法で人の心が掴める訳がない。話す内容は詳細まで頭に叩き込んでおくべき。自信はこうした準備の積み重ねでしか手に入らない。

したがってプレゼンというのはある意味、その発表日までに蓄積された発表者の自信を測る場とも言える。とにかくプレゼンにおいては自信を持つべし、と。

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図解 スティーブ・ジョブズのプレゼン術

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【読者質問 11】海外転職において専攻はコンピュータ・サイエンスであるべき?

ご質問ありがとうございます。まずは質問から。

はじめまして。大学などの専攻に関して質問させてください。
海外で働こうとする際に「大学あるいは大学院でコンピューターサイエンス(CS)を専攻していることは重要」と言うのはよく聞く話です。

そこで質問なのですが、「CSを専攻していること」と言うのはどの様な意味で重要なのか教えて頂けませんか?
CSに分類される学問に属していたことが重要なのか、実際に研究して出した論文の内容がCS寄りであることが重要なのか、採用とVisaに絡めてよろしくお願い致します。

まず「コンピューターサイエンスを専攻していることは重要」というのはITエンジニア職においては本当の話。ベルリンのような国際都市で多国籍なエンジニアチームと仕事をしているとほとんどのエンジニアが大学時代はコンピュータ・サイエンスを専攻していたのが実情。

そしてこの回答を詳しく説明するには「ビザの問題」と「採用基準の問題」を分けて考える必要がある。まずは採用基準から回答すると、中途採用の場合は学科や学部、大学がその応募者の選考に大きく影響することはほぼ無い。アメリカのとても有名な大学をトップの成績で卒業した、とかなら別だがそうでもない限りは基本は大学名や専攻内容を採用基準にしていない。採用基準にされるのはあくまでその人が持っている技術であって、学歴ではない。

それでも海外転職に挑戦して面談をするときっとこの質問を受けると思う。私も何度もこのセリフを聞いた。
「ところで大学で何を専攻してたの?え?コンピュータ・サイエンス?じゃあ完璧だ。」

これは「コンピュータ・サイエンスを専攻した人=優秀な人」と言う意味では決してないので勘違いしないこと。ここで言う「完璧だ」は100%ビザに関すること。

ビザはその国の制度にもよるが就業予定の職種と大学で専攻していた内容に関連性があることが基本的には求められる。例えば「文学部で文学を専攻して、ITエンジニアとして仕事するつもりです」とやってもあまりに関連性が無いので大学の卒業資格がビザでは使えなくなる。そういう意味でITエンジニア職に応募した人の専攻内容がコンピュータ・サイエンスであると、ビザ申請がカンタンに通るのだ。

工学部であればちょっとはエンジニアに関係ありそう、と捉えてもらって例えコンピュータ・サイエンス学科でなくてもビザの基準を満たしているとなるケースが多い。(その国の制度による)ほとんどの日本の大学は学部を「情報工学部」とか漢字で表しているので、その英語訳がどうなっているのかは学生は意識していない。そこはしっかりチェックした方がいい。あんまりITに関係無いかもなー、なんて思っていてもなぜか英語訳に「Computer」とか「Information Technology」とそれらを連想させる英単語が入って入ればITエンジニアとしてのビザ基準を満たす可能性が大いにあるのだ。ちなみに英語訳は大学のウェブサイトでも確認できるし、正式には英語版の卒証明書に記載されている。

また以前、勤めていたシンガポールのIT会社にてとあるブラジル人がマーケティング部門に応募してきた。みごとに選考プロセスを通過してオファーを出したのだが、その人はアメリカの大学でスポーツビジネスを専攻していた。その会社の商売はITであって、スポーツビジネスにはまったく関係が無かった。とても厳しいシンガポールのビザ基準を通過するのは困難であることは予想された。ところが会社の人事の人とそのブラジル人応募者が一緒になって、シンガポール政府に「会社がスポーツ分野に進出する可能性もあるかもしれないし、なによりそういうスポーツビジネスの興行の仕組みを当社のITにも応用していくのが戦略であって、ぜひともこの人材が必要なんです!」みたいな文章を作って、強烈にプッシュしてビザ申請していた。そして結果はみごとにビザを獲得していたのだ。

つまりは一旦、会社からオファーをもらえばその後のビザ申請は会社と協力して行うことになる。会社としてもせっかくオファー出した応募者をビザが取れずに逃す、なんて事態は避けたい。なのでオファー取得後は会社も協力してれるはずで専攻内容が多少は畑違いであっても、まったく望みが無いとは言い切れない。

結局、働く場合において重要なのは学部の英語訳だけだったりする訳で、ご質問にあった「CSに分類される学問に属していたこと」とか「実際に研究して出した論文の内容」というのはエンジニア職においてはどっちもあまり重要ではなかったりする。私も何度もエンジニアの応募者に技術面談をしているが、応募者が書いた論文を読んだことなんて一度も無い。エンジニアの場合は論文よりもまともに動くコードが書かれたGitHubの方がよほど重要になるだろう。

世界各国から応募者が集まる多国籍チームの場合、その応募者の過去の学歴というのは国によってまちまちでアテにならないのだ。ウクライナの大学での成績や専攻内容とアルゼンチンの大学と専攻内容を比較して優劣が付けれる奴なんていない。そんな意味不明なことはしないで、コーティング面談で技術力を測った方がよほど正確に即戦力が把握できる。

と、これはエンジニアの話であってもし研究職に応募される予定であれば、論文はとても重要なのでそこはご注意ください。

以上が「海外転職において専攻はコンピュータ・サイエンスであるべき?」の回答でした。

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40代の社畜が海外から2〜3倍の年収オファーというコメントをいただいて、ブログ続けてよかったのかもと思えた

読者さんからコメントいただいて、何度も「やめたろか」と思ったブログを一応は続けておいて良かったなーと思えた。

ブログやってて嬉しいことなんてほぼ無い。ほとんどは時間の無駄でちっとも儲からんことばっかりだ。しかしごくまれに「やっててよかったかな」と思える瞬間が訪れる。先日いただいたコメントがあまりに嬉しく、かつこんな機会はめったに無いのでそのまま転載して残すことにした。

何時も楽しく拝読しております。
私も40代の社畜のドメドメ証券のPBで働いているものです。
2年前から洗脳から離れ強烈に英語の勉強を始めました。その時にこのブログに出会いました。英語学習海外転職の参考にすごくなりました。それなりに英語がなったので海外PBにエントリーして面接もしました。国内ではそろそろ役職定年な年代でも、25年間の実践経験値を海外の業者は高く買ってくれ2〜3倍の年収のオファーを出してきます。このブログが私の気持ちのケツを叩いてくれました。感謝してます。今後も楽しみにしています。今度は香港での面接ありますががんばります。

なにが嬉しいって40代で日本ではそろそろ役職定年な年代でも2〜3倍の年収のオファーを出して、というところ。素晴らしい!コメント主さんのご経験とスキルがあって実現できたことであるのは言うまでもない。ぜひ香港の面接も成功させてください。

この方の様に活躍する人がもっともっと増えて欲しい。なぜならそんな人達の存在が世界をよりフラットに平和にしていくからだ。

日本からだからまだ2〜3倍の年収で済んでいるが、もしこれがロシアや東ヨーロッパの片田舎のITエンジニアがヨーロッパの大都市圏に移るとなったら、10倍の年収とかもざらにある。グローバル化がどんどん進んでいく今の世界では人も仕事も情報、カネ、全てが国境をいともカンタンに超えていく。人類が歴史上経験したことの無いスピードで国際間の格差が縮小されているのだ。
今までだったらアメリカ生まれのアメリカ人は経済的に有利だったし、ベトナムの片田舎で生まれた人は経済的に不利だった。だがそんな時代も終わりつつある。どこで生まれようとデキる人には国境を超えてチャンスが存在するようになった。実際、今の職場であるベルリンのITスタートアップにおいて「優秀な人」というのに国籍が一切関係無いことを日々実感している。

同僚のロシア人エンジニアKに「ロシアで仕事を探している人が10人いたとして、ロシア国外で探す人はそのうち何人だと思う?」と聞いたことがある。その答えは「は?そんなの10人全員がロシア国外を目指すに決まってるだろ」と言った。Kはその後「だいたいお前な、その質問ってロシアがどんな国なのか本当に分かってて聞いてんのか?ジャパーンとは違うんだよ」と言うと共に今のロシア情勢をトウトウと語りだした。Kのロシア話はこの記事の主題とはズレるので割愛するが、とにかくそういう国では仕事の場を国際的に考えるのがデフォルトになっているらしい。

日本も例外ではないはずなのに、なぜか発想は内向きでしかない。日本の一人あたりGDPが下がり続けて、労働環境も決していいとは言えない。雇用における年齢差別は公然と行われ、正社員と非正規、年功序列といった国際基準とかけ離れた雇用環境が今も続いている。それにも関わらず経済産業省の統計では「海外で働きたいと考える人」の率は年を重ねるごとに下がっている。つまり日本ではほとんどの人が海外を選択肢のひとつとしては考えず、またその状況に拍車がかかってどんどん内向きになっているのだ。

そんな状況の中で突然に「国境を自由に飛び超えて移住を繰り返し、面白そうなプロジェクトを渡り歩く生活スタイルをやってみましょう」なんて言っても「はい。じゃあ、そうします」となる訳がない。人間は周りの人の考え方や行動に影響されるからだ。

私も日本に居る時に周りに海外を目指す人なんて居なかった。「国境を超えて好きに移住するスタイル」なんて特別な才能を持った一部の人ができることであって、普通のエンジニアである自分に置き換えることなんてまったくできなかった。
しかし海外で働くようになり、また多国籍なエンジニアチームのメンバーと仕事をする中でだんだんとその実態が分かってきた。その時に感じた感想を端的に言えば「誰もが普通の事のように移住して、人生なんて国境無しに考えた方が合理的なのになぜ今までそう考えなかったんだろ」と。これらは「マニュアルを読んで理解する」といった次元ではない。頭の理解とはちょっと異なり、むしろ「考え方や生き方を体感する」と言った方が近い。

このブログの意義もそうした「国境を超えて好きに移住するスタイル」を海外転職に興味をお持ちの方へ提案できればと考えて書いていた。ただ日本では「海外を目指す人」の絶対数が少ない上に減少傾向で、しかもここで提案しようとしていることもちょっと書いたぐらいではなかなか伝わらないことばかり。ブログの効果なんてほとんどあって無いようなもんだし、その反応が読み取れることなんて皆無だった。

だからこそ、いただいたコメントがとても嬉しかったのだ。

コメント主さんの「年齢?40代?国籍?そんなもんカンケーねーよ。ガッツリ稼がせてもらうぞ」とも言わんばかりの突き抜けた行動が痛快で気持ちいい。無条件に応援したくなる。
私は今後、人がどこかで働こうとする時に年齢、性別、国籍、肌の色、宗教で差別されることが一切無くなって欲しい。そういう差別を本当の意味で無くすために最も効果的なのはコメント主さんのような方がどんどん増えることだ。
私はなにも「差別はダメでーす」みたいなポリティカル・コレクトネスなんかが好きで言ってる訳ではない。ただ単にその方が公平かつ経済合理的でみんながハッピーになれるから言っているだけだ。そして「差別ダメです」みたいな政治家の人気取りの演説では世の中は変わらない。社会を構成するひとりひとりが理不尽な差別を突き抜けた活躍をすることで社会は変わる。

コメント主さんへ
本当にコメント嬉しかったです。ありがとうございます。そのご活躍は私だけでなく周りの多くの人達をとてもポジティブな気持ちにさせたと思います。これからもぜひご活躍ください。

誰かが誰かを幸福にすることなどできない。他人にしてやれることなど何もない。他人を支配するのも無理だし、支配されることもできない。もし何か他人に対してできることがあるとすれば、キラキラしている自分を見せてやることだけだ。 - 村上龍

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