ベルリンのITスタートアップで働くジャバ・ザ・ハットリの日記

日本→シンガポール→ベルリンへと流れ着いたソフトウェアエンジニアのブログ

【読者質問 12】ランチ中の英語の会話

ご質問ありがとうございます。

社員とのランチなどで交わされる英語の会話についていけてますか?

ランチ中の会話が英語になってから6年ほどになるのでさすがに慣れた。英語での会話は仕事中よりもランチ中の方が話題が多岐に渡るので難しい。ただそうした場での会話が楽しめないと海外移住の本当の楽しさは半減する。

まだ英語の会話に慣れない時期の対策としては「自分から話題を提供すること」。これに尽きる。

ランチ中の会話でなにが難しいのかというと、いきなり自分の知らない、もしくはまったく準備していない話題を振られて、それに対応すること。だったら予めこちらで用意しておいた話題を振ればいい。話題の主導権を握ることは想像以上に英会話をスムーズにする。

英会話が苦手だからと言って黙っていると、不意に話題を振られて即興でその話題に対する回答をしなければならなくなる。しどろもどろになってちゃんと返答できなければ「アイツってしゃべれないのか?」などと思われてどんどん社内の立場が危うくなっていくので、そこは無理をしてでも自分から話題を提供した方がいい。

ある程度、話題を提供していると慣れてくる。言い出し方はこんな感じ

「おい、住む場所によって年収が決まるって話があるの、知ってるか?」
「おい、オレはもうこれからのAI時代に備えて今日からコーティングをやめようかと思うんだ」
「おい、鏡を使って自分の肛門をじっくり観察したことがあるか?」

もしブログを書いていたらそれをそのまま英語に訳して言うだけ。ブログとか書いた時点である程度の考察が自分の中にあるので言いやすい。

ポイントは英語でどう言うか前もって準備しておくこと。これは日本語でも同じ。意識してても無意識でも人が話すことのほとんどは予め自分の脳内で用意していたセンテンスをつなぎ合わせているだけ。母国語であってもその場の即興で話題をゼロから生成することはほぼ無い。以前から考えていたこととか、以前に他の誰かに話した内容を編集して話している。そうでもなければ誰も即興でそんなにたくさんは話せない。

母国語でも難しい即興の会話を第二言語を使ってできる訳がない。

したがって私は今でも時々「明日の話題」を独り言のようにブツブツ言って予行練習をしている。

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友人を作る方法はただその人への興味を真摯に伝えること

街の印象というのは人それぞれだが、私からすればベルリンは出会いの宝庫だ。世界中から人が押し寄せ、人種国籍に関係なく混ざり合い、そこで生まれた交流がまた新たな交流を生む街だ。

先日、子供を通じてあるドイツ人のおばさんと出会った。詳しい年齢は知らないがおそらく50代か60代ぐらい。英語はとても流暢で、美しい金髪をなびかせた人で、若い頃は相当な美人だったことは容易に想像できるキレイなおばさまだった。私はもちろん彼女に興味を持っていたが、彼女も何か私達日本人家族に興味を持ったようで私と家族を家に招いてくれた。知らされた住所を頼りに彼女の自宅へ行ってみるとヨーロッパの城みたいな大きな家だった。出会った時はまったく分からなかったがお金持ちのおばさまだったのだ。

ヨーロッパ風の家の中にある豪華な暖炉に火を灯して夜まで色々と話しをした。話をするうちに分かってきたのは、彼女は7年ほど前に旦那さんを亡くし今は未亡人であること。若い頃から世界各地を周っていること。アジア、アフリカでの居住経験があり、旅行もかなりの回数で行っている。部屋の中をいろいろ見せてもらうと、アフリカ文化を感じさせる家具や置物が多くあり、それらに混じって日本の食器や家具、絵画も見えた。彼女が世界各地の文化に対する造詣が深いのは部屋からも伝わってきた。

家に訪問する前は私は勝手に「典型的なドイツ人のおばさん」と思っていたのだが、彼女は典型的ドイツ人とは言えないほどに特殊な人生を歩み、今でも現在進行系で活動していることが分かった。私の子供達も豪華なヨーロッパ風の屋敷の中でそのおばさんから次々に出てくる摩訶不思議な話に興味津々な様子だった。

また彼女も私がITエンジニアとしての仕事を使って世界の都市を移住するスタイルが彼女の世代では無かった発想のようで興味を持っていた。
先月から彼女はモロッコにある別荘に3週間ほど滞在し休暇を兼ねた仕事をしているそうだ。

それとはまったく別の日に私が道に迷った際に英語で道を尋ねた男が居て、そいつがやけに親切だった。年は30代半ばぐらいだろう。いろいろ話すうちに彼はドイツ人ではなくシリア人でしかも出身はあのアレッポであることが分かった。職業はドイツの大学で化学分野の研究をしている、とのことだった。ちょっとした立ち話だけだったが、私は彼にとても興味を持ったので、連絡先を交換して次の週に自宅に招いた。

私は彼にひとつ頼み事をした。「家に子供が2人居る。2人とも英語はネイティブなので子供達にあなたがアレッポで経験したことを話してくれないか?」と。快く承諾してくれた彼は当日ラップトップのPCを持って家に来た。アレッポの写真をラップトップに出して、様々なシリア情勢を子供にも分かるように丁寧に説明してくれた。かつては400万人都市だったアレッポが紛争により今では100万人となってしまった現状を生の写真と共に話してくれた。子供だけでなく親の私が聞いてもとても考えさせられる内容で、貴重な体験となった。彼曰くアレッポで英語を話せる人の割合は5%以下だ、と。外国の大学で研究をするような頭脳の持ち主から英語で生のアレッポ情勢が聞ける機会なんてそんなにある訳がない。

彼のそんなシリア情勢の話と同じかそれ以上に私が興味を引いたのは彼の生きる姿勢だ。祖国が悲劇に見舞われる中でも彼は自分の研究者としての資質を世界に問うべく努力している。彼は「シリア人に対する差別が一切無いとは言い切れない。でも研究の成果は科学的であるだけで国籍は関係ないはずだよ」と言っていた。そんな彼の人柄と生きる姿勢から大いに感銘を受けた。

こんな風にベルリンは様々な出会いに溢れている。私は彼らとの交流を通して「いかに自分が世界を知らなかったか」を知る。この感覚は私の人生をより豊かにしてくれる。そしてそんな体験はどんなにカネを払ったところで簡単には得られない。
これらの人脈を得るために私は「友達を増やすクラブ」に入会した訳でもないし、大金を払った訳でもない。ただ出会った人に対して誠実に関心を示しただけだ。

「魅力的な人と知り合いになるには、あなたも同じぐらい魅力的でなければならない」なんて結婚相談所のキャッチフレーズみたいなことを言う人もいるが、これは私の感覚とは異なる。人はなにも物々交換みたいに知り合いになるのではない。「あなたの魅力ポイントは300で私のポイントは310。だいたい同じレベルですね。友達になりましょう。あの人は120ポイントしか無いから放っときましょう。おっほほほほ」なんて言い出したら気持ち悪くてしょうがない。

そうではなく、本当にその人に興味を持ったらただそのことを真摯に伝えるだけでいいのだ。芸能人みたいな人気商売をしている人でもない限りは、興味を持ってもらうことで不快に感じる理由も無いだろう。目の前に面白ろそうな奴が居たとして、その瞬間にできることは「お前ってオモロイなー!」と言うことぐらいで、その時になって「自分の魅力磨き」なんかしても意味が無い。

ここに書いた2人は国籍も人種も性別も年齢も、食べ物の好みから笑いのツボまで、なにもかもが違う。まったく違う。それでも私には彼らが同じ属性にも思える。2人とも英語が堪能で国際経験が豊富という人達だ。これは職場の同僚達にも当てはまる。エンジニアチームには地元民はおらず全員が外国人で誰もが多彩な国際経験を持っている。私の興味と重なる部分を多く持っており、どんなに会話を交わしてもいつまでも興味深い連中で、ひとことで言えば気が合う奴らだ。

私の人脈というのは多国籍で多種多様なように見えるが、よく考えると全員がある意味で同じ属性の人なのかもしれない。それは英語を話すグローバル型の人達だ。

私には地元で慣れ親しんだ交友関係の中で何年も前に共有した体験を語り合って「懐かしいよねー」と言えるローカル型の友人は居ない。生まれ育った地元を離れることなくそこで過ごす人生にはそれ相応のメリットがあるだろうし、否定するつもりは無い。またローカル型の人生を送る人におせっかいに移住なんて勧めようとも思わない。
ドイツにもそうしたローカル型の人達もきっと居る。ただ私がドイツ語ができないことなども機縁となってそういった人達との交流が今のところ無い。

異文化に対する知的好奇心がグローバル型にさせ、グローバル型同士での交流が加速度的に増えていく。ローカル型も同じローカル型の人達との交流が活発化する。つまりは両者間の断絶がより一層深まる傾向にあるのだ。ここで言う「断絶」とはアメリカの赤い州と青い州とか、都市部と地方、ローカルとグローバルなんかで表現される両者間の断絶のこと。

政治家や評論家はこの断絶にいろんな理由を付けて、その背景なんかを論じるのだろうが、そんな話にあまり興味は無い。私達ひとりひとりにできることは自分のやり方で思う存分に人生を楽しむことだ。私は多種多様な人達との交流をなによりも大切にしていて、それこそが人生を豊かにする手段のひとつであって、これからも続けて行きたいと考えている。

寂しさと共に生きる人間という生き物にとって、他者との出会いが非常に大切なもので、しかもそれは簡単ではないということを、わたしたちが本能として知っている。わたしたちのあらゆる努力はよりすばらしい他者と出会う可能性を高めるためにある。 - 村上龍

ローカル型の人達を知る上で「ヒルビリー・エレジー~アメリカの繁栄から取り残された白人たち~」は衝撃的だった。私が知らなかったアメリカ人の実像が本書にあった。

ヒルビリー・エレジー?アメリカの繁栄から取り残された白人たち?

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Hillbilly Elegy: A Memoir of a Family and Culture in Crisis

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英語のプレゼンを成功させるたったひとつのコツ

英語でプレゼンをする際にそれを成功に導くためのコツについての話。

今の勤め先であるベルリンのITスタートアップではエンジニアチームの全員が次のバージョンに盛り込むべきアイデアを色々考えてプレゼンする。ピッチと呼んでいるが、そんな呼び名はどうでもいい。とにかくプレゼンだ。
普通にやってて絶対に盛り込まれるべき機能とは別に「オレだったらこういうのが欲しいな」とか「これを入れたら絶対に当たるぜ」みたいなのを発表する。プレゼンの後、全参加者が点数を付けて高得点を獲得した機能を実際に盛り込む、というようなことをやっている。

これをつい先日と4ヶ月ほど前と2回やった。プレゼンは当然ながら英語でのプレゼンになる。で、成績としては2回やって2回とも私のプレゼンが最高得点を獲得した。

英語圏で働きだして数年になるので職場で使う英語にはある程度慣れたし、英語プレゼンもまーまーマシなレベルになったと思う。数字で評価される場で2回とも優勝したので、そこまでの過程で得たプレゼンのコツなんかを共有しても多少はお役に立てるだろうと考えた。

英語プレゼンの細かいテクニックなんかは抜きにして、そのコツだけをひとことで言うとこうなる。

そのプレゼンに絶対の自信を持つこと

なーんだ、そんなことか、と思うなかれ。プレゼンにおいて自信ほど大切なものはない。ある研究で自信を持って明らかに間違った情報を言う人と、不安ながらに正しい情報を言う人とでは前者の方が遥かに信用される率が高かったという結果が出ている。どんなにいいアイデアもプレゼンにおける自信の持ちよう次第でダメにも大成功にもなるのだ。

仮に英語にハンディがあったとしてもそんな事を少しも表に出してはいけない。だいたい私は英語プレゼンに挑む際に自分が非ネイティブで英語にハンディがあるなんてちっとも思っていない。こう書くとちょっと恥ずかしいが、私がプレゼンする際にはもうプレゼンの天才、スティーブ・ジョブズが乗り移っている状態だ。誰も拍手なんてしていなくても、私の登場と共に会場から割れんばかり拍手と歓声が私の中では聞こえている状態だ。

プレゼン中のちょっとした仕草、「Well ...」の言い方、間の置き方、話す英語のスピード、全てコピーした(つもり)。

ドイツの公園なんかで小さな男の子達がよくサッカーをしているが、自分でゴールしながらドイツの有名選手の名前を連呼して実況しているのをよく聞く。あれはサッカー少年がその有名選手になりきっているのだろう。その少年が本当にプロのサッカー選手ほどのプレーができているかどうかとかはカンケー無い。ただ純粋に成り切っているのだ。あれと同じ。

スティーブ・ジョブズが乗り移った私に不安など何も無い。要は自信マンマンだ。なぜここまで自信を強調するのかというと英語圏に職場を移した場合に普通にプレゼンしてたのでは周りのライバル達に勝てないからだ。

主に英語を使う人達のプレゼンとか何かを発表する際のカラ元気というか、ハッタリというか、威勢というか、根拠の無い自信はすさまじい。「よくあんなショボい内容をそこまで自信たっぷりに披露できるな」と本当に感心してしまう。

英語圏の職場に入ったら本当にびっくりすることのひとつなのでもう一度書く。
よくあんなショボい内容をそこまで自信たっぷりに披露できるな、と感心してしまう奴がいっぱい居る。

ベルリンのインターナショナルスクールに通う私の子供たちも事あるごとに勉強した内容をまとめてプレゼンをする機会が設けられている。「え?また発表するの?ついこの間もやっただろ?」とよく言っている。それぐらい勉強してインプットすることと同じぐらいプレゼンによりアウトプットすることが重要視されているようだ。そうして幼少の頃からプレゼンで鍛えられてきた英語圏の人達は生まれながらにプレゼンのコツを体得しているように感じる。

そんな連中と競争する際に日本的な「控えめ」なんて発想は捨て去るしかない。

以前、アメリカのポートランドで行われた技術カンファレンスのビデオをYouTubeでチェックしていたら発表者に日本人のような名前が見つかった。「日系アメリカ人かな?」と思ってそのビデオをクリックすると発表者は日本の人だった。プレゼンの冒頭で「私の英語が拙くてすみません。でもがんばりますので我慢して聞いてくだい」みたいな内容を下手な英語で言ってて、最初の10秒で観るのをやめた。

別にそのたった一言だけで観るのを辞めた訳でもない。英語とかプレゼンに対する自信の無さがその登場者の表情、ジェスチャー、言葉の抑揚の全てに現れていたので観るきが失せたのだ。自信の無い発表は「これは本当に聞く価値があるのか?」という疑念の原因にもなって、わざわざ時間を使って観てみようという気が無くなる。

どんなプレゼンでも終わった後に質疑応答の時間がある。ちょっといいプレゼンになるといろんな質問が飛び交うことになる。もちろん英語だ。そこで英語に苦手意識がある人だと、まくし立てるように英語で質問されてしっかりヒアリングできなかった時にうろたえてしまう。

そんな時にも自信満々にしていると怯えることなんかない。こっちはそのアイデアのためにずっと熟考してきたのだ。そんなプレゼン聞いて3秒で思いついた程度の質問に負ける訳が無い。
私が前回プレゼンの際に質問を受けて言ったのはこうだった「その質問は**に関することだね。他にもいろいろ意見をいただいたけど私からするとさほど重要には思えないので割愛させてもらう。ここでは**に関して詳しく説明させてもらうよ。それはだねー。。。」という感じだ。別に質問が聞き取れなかった訳でもないし、答えてもよかったのかもしれない。ただここで言いたいのはあくまで主導権は発表者が持つべきで、堂々としていればワガママは許されるどころか、むしろ発表のクオリティを上げる。「テメーのボケた質問はいいから、それより今から言うオレの話を聞け」という態度をされたら、なんかいいこと聞かされている気になるのだ。

内容やアイデアがショボければ練り直さなければならない。少しでも「内容ショボいな」と思ってしまえば自信は手に入らない。英語が苦手なら練習して完璧にしておくべき。話す内容を紙に書いて、それを読むなんて論外だ。そんな葬式の謝辞みたいな方法で人の心が掴める訳がない。話す内容は詳細まで頭に叩き込んでおくべき。自信はこうした準備の積み重ねでしか手に入らない。

したがってプレゼンというのはある意味、その発表日までに蓄積された発表者の自信を測る場とも言える。とにかくプレゼンにおいては自信を持つべし、と。

スティーブ・ジョブズ 驚異のプレゼン

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図解 スティーブ・ジョブズのプレゼン術

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