ベルリンのITスタートアップで働くジャバ・ザ・ハットリの日記

日本→シンガポール→ベルリンへと流れ着いたソフトウェアエンジニアのブログ

友人を作る方法はただその人への興味を真摯に伝えること

街の印象というのは人それぞれだが、私からすればベルリンは出会いの宝庫だ。世界中から人が押し寄せ、人種国籍に関係なく混ざり合い、そこで生まれた交流がまた新たな交流を生む街だ。

先日、子供を通じてあるドイツ人のおばさんと出会った。詳しい年齢は知らないがおそらく50代か60代ぐらい。英語はとても流暢で、美しい金髪をなびかせた人で、若い頃は相当な美人だったことは容易に想像できるキレイなおばさまだった。私はもちろん彼女に興味を持っていたが、彼女も何か私達日本人家族に興味を持ったようで私と家族を家に招いてくれた。知らされた住所を頼りに彼女の自宅へ行ってみるとヨーロッパの城みたいな大きな家だった。出会った時はまったく分からなかったがお金持ちのおばさまだったのだ。

ヨーロッパ風の家の中にある豪華な暖炉に火を灯して夜まで色々と話しをした。話をするうちに分かってきたのは、彼女は7年ほど前に旦那さんを亡くし今は未亡人であること。若い頃から世界各地を周っていること。アジア、アフリカでの居住経験があり、旅行もかなりの回数で行っている。部屋の中をいろいろ見せてもらうと、アフリカ文化を感じさせる家具や置物が多くあり、それらに混じって日本の食器や家具、絵画も見えた。彼女が世界各地の文化に対する造詣が深いのは部屋からも伝わってきた。

家に訪問する前は私は勝手に「典型的なドイツ人のおばさん」と思っていたのだが、彼女は典型的ドイツ人とは言えないほどに特殊な人生を歩み、今でも現在進行系で活動していることが分かった。私の子供達も豪華なヨーロッパ風の屋敷の中でそのおばさんから次々に出てくる摩訶不思議な話に興味津々な様子だった。

また彼女も私がITエンジニアとしての仕事を使って世界の都市を移住するスタイルが彼女の世代では無かった発想のようで興味を持っていた。
先月から彼女はモロッコにある別荘に3週間ほど滞在し休暇を兼ねた仕事をしているそうだ。

それとはまったく別の日に私が道に迷った際に英語で道を尋ねた男が居て、そいつがやけに親切だった。年は30代半ばぐらいだろう。いろいろ話すうちに彼はドイツ人ではなくシリア人でしかも出身はあのアレッポであることが分かった。職業はドイツの大学で化学分野の研究をしている、とのことだった。ちょっとした立ち話だけだったが、私は彼にとても興味を持ったので、連絡先を交換して次の週に自宅に招いた。

私は彼にひとつ頼み事をした。「家に子供が2人居る。2人とも英語はネイティブなので子供達にあなたがアレッポで経験したことを話してくれないか?」と。快く承諾してくれた彼は当日ラップトップのPCを持って家に来た。アレッポの写真をラップトップに出して、様々なシリア情勢を子供にも分かるように丁寧に説明してくれた。かつては400万人都市だったアレッポが紛争により今では100万人となってしまった現状を生の写真と共に話してくれた。子供だけでなく親の私が聞いてもとても考えさせられる内容で、貴重な体験となった。彼曰くアレッポで英語を話せる人の割合は5%以下だ、と。外国の大学で研究をするような頭脳の持ち主から英語で生のアレッポ情勢が聞ける機会なんてそんなにある訳がない。

彼のそんなシリア情勢の話と同じかそれ以上に私が興味を引いたのは彼の生きる姿勢だ。祖国が悲劇に見舞われる中でも彼は自分の研究者としての資質を世界に問うべく努力している。彼は「シリア人に対する差別が一切無いとは言い切れない。でも研究の成果は科学的であるだけで国籍は関係ないはずだよ」と言っていた。そんな彼の人柄と生きる姿勢から大いに感銘を受けた。

こんな風にベルリンは様々な出会いに溢れている。私は彼らとの交流を通して「いかに自分が世界を知らなかったか」を知る。この感覚は私の人生をより豊かにしてくれる。そしてそんな体験はどんなにカネを払ったところで簡単には得られない。
これらの人脈を得るために私は「友達を増やすクラブ」に入会した訳でもないし、大金を払った訳でもない。ただ出会った人に対して誠実に関心を示しただけだ。

「魅力的な人と知り合いになるには、あなたも同じぐらい魅力的でなければならない」なんて結婚相談所のキャッチフレーズみたいなことを言う人もいるが、これは私の感覚とは異なる。人はなにも物々交換みたいに知り合いになるのではない。「あなたの魅力ポイントは300で私のポイントは310。だいたい同じレベルですね。友達になりましょう。あの人は120ポイントしか無いから放っときましょう。おっほほほほ」なんて言い出したら気持ち悪くてしょうがない。

そうではなく、本当にその人に興味を持ったらただそのことを真摯に伝えるだけでいいのだ。芸能人みたいな人気商売をしている人でもない限りは、興味を持ってもらうことで不快に感じる理由も無いだろう。目の前に面白ろそうな奴が居たとして、その瞬間にできることは「お前ってオモロイなー!」と言うことぐらいで、その時になって「自分の魅力磨き」なんかしても意味が無い。

ここに書いた2人は国籍も人種も性別も年齢も、食べ物の好みから笑いのツボまで、なにもかもが違う。まったく違う。それでも私には彼らが同じ属性にも思える。2人とも英語が堪能で国際経験が豊富という人達だ。これは職場の同僚達にも当てはまる。エンジニアチームには地元民はおらず全員が外国人で誰もが多彩な国際経験を持っている。私の興味と重なる部分を多く持っており、どんなに会話を交わしてもいつまでも興味深い連中で、ひとことで言えば気が合う奴らだ。

私の人脈というのは多国籍で多種多様なように見えるが、よく考えると全員がある意味で同じ属性の人なのかもしれない。それは英語を話すグローバル型の人達だ。

私には地元で慣れ親しんだ交友関係の中で何年も前に共有した体験を語り合って「懐かしいよねー」と言えるローカル型の友人は居ない。生まれ育った地元を離れることなくそこで過ごす人生にはそれ相応のメリットがあるだろうし、否定するつもりは無い。またローカル型の人生を送る人におせっかいに移住なんて勧めようとも思わない。
ドイツにもそうしたローカル型の人達もきっと居る。ただ私がドイツ語ができないことなども機縁となってそういった人達との交流が今のところ無い。

異文化に対する知的好奇心がグローバル型にさせ、グローバル型同士での交流が加速度的に増えていく。ローカル型も同じローカル型の人達との交流が活発化する。つまりは両者間の断絶がより一層深まる傾向にあるのだ。ここで言う「断絶」とはアメリカの赤い州と青い州とか、都市部と地方、ローカルとグローバルなんかで表現される両者間の断絶のこと。

政治家や評論家はこの断絶にいろんな理由を付けて、その背景なんかを論じるのだろうが、そんな話にあまり興味は無い。私達ひとりひとりにできることは自分のやり方で思う存分に人生を楽しむことだ。私は多種多様な人達との交流をなによりも大切にしていて、それこそが人生を豊かにする手段のひとつであって、これからも続けて行きたいと考えている。

寂しさと共に生きる人間という生き物にとって、他者との出会いが非常に大切なもので、しかもそれは簡単ではないということを、わたしたちが本能として知っている。わたしたちのあらゆる努力はよりすばらしい他者と出会う可能性を高めるためにある。 - 村上龍

ローカル型の人達を知る上で「ヒルビリー・エレジー~アメリカの繁栄から取り残された白人たち~」は衝撃的だった。私が知らなかったアメリカ人の実像が本書にあった。

ヒルビリー・エレジー?アメリカの繁栄から取り残された白人たち?

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Hillbilly Elegy: A Memoir of a Family and Culture in Crisis

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英語のプレゼンを成功させるたったひとつのコツ

英語でプレゼンをする際にそれを成功に導くためのコツについての話。

今の勤め先であるベルリンのITスタートアップではエンジニアチームの全員が次のバージョンに盛り込むべきアイデアを色々考えてプレゼンする。ピッチと呼んでいるが、そんな呼び名はどうでもいい。とにかくプレゼンだ。
普通にやってて絶対に盛り込まれるべき機能とは別に「オレだったらこういうのが欲しいな」とか「これを入れたら絶対に当たるぜ」みたいなのを発表する。プレゼンの後、全参加者が点数を付けて高得点を獲得した機能を実際に盛り込む、というようなことをやっている。

これをつい先日と4ヶ月ほど前と2回やった。プレゼンは当然ながら英語でのプレゼンになる。で、成績としては2回やって2回とも私のプレゼンが最高得点を獲得した。

英語圏で働きだして数年になるので職場で使う英語にはある程度慣れたし、英語プレゼンもまーまーマシなレベルになったと思う。数字で評価される場で2回とも優勝したので、そこまでの過程で得たプレゼンのコツなんかを共有しても多少はお役に立てるだろうと考えた。

英語プレゼンの細かいテクニックなんかは抜きにして、そのコツだけをひとことで言うとこうなる。

そのプレゼンに絶対の自信を持つこと

なーんだ、そんなことか、と思うなかれ。プレゼンにおいて自信ほど大切なものはない。ある研究で自信を持って明らかに間違った情報を言う人と、不安ながらに正しい情報を言う人とでは前者の方が遥かに信用される率が高かったという結果が出ている。どんなにいいアイデアもプレゼンにおける自信の持ちよう次第でダメにも大成功にもなるのだ。

仮に英語にハンディがあったとしてもそんな事を少しも表に出してはいけない。だいたい私は英語プレゼンに挑む際に自分が非ネイティブで英語にハンディがあるなんてちっとも思っていない。こう書くとちょっと恥ずかしいが、私がプレゼンする際にはもうプレゼンの天才、スティーブ・ジョブズが乗り移っている状態だ。誰も拍手なんてしていなくても、私の登場と共に会場から割れんばかり拍手と歓声が私の中では聞こえている状態だ。

プレゼン中のちょっとした仕草、「Well ...」の言い方、間の置き方、話す英語のスピード、全てコピーした(つもり)。

ドイツの公園なんかで小さな男の子達がよくサッカーをしているが、自分でゴールしながらドイツの有名選手の名前を連呼して実況しているのをよく聞く。あれはサッカー少年がその有名選手になりきっているのだろう。その少年が本当にプロのサッカー選手ほどのプレーができているかどうかとかはカンケー無い。ただ純粋に成り切っているのだ。あれと同じ。

スティーブ・ジョブズが乗り移った私に不安など何も無い。要は自信マンマンだ。なぜここまで自信を強調するのかというと英語圏に職場を移した場合に普通にプレゼンしてたのでは周りのライバル達に勝てないからだ。

主に英語を使う人達のプレゼンとか何かを発表する際のカラ元気というか、ハッタリというか、威勢というか、根拠の無い自信はすさまじい。「よくあんなショボい内容をそこまで自信たっぷりに披露できるな」と本当に感心してしまう。

英語圏の職場に入ったら本当にびっくりすることのひとつなのでもう一度書く。
よくあんなショボい内容をそこまで自信たっぷりに披露できるな、と感心してしまう奴がいっぱい居る。

ベルリンのインターナショナルスクールに通う私の子供たちも事あるごとに勉強した内容をまとめてプレゼンをする機会が設けられている。「え?また発表するの?ついこの間もやっただろ?」とよく言っている。それぐらい勉強してインプットすることと同じぐらいプレゼンによりアウトプットすることが重要視されているようだ。そうして幼少の頃からプレゼンで鍛えられてきた英語圏の人達は生まれながらにプレゼンのコツを体得しているように感じる。

そんな連中と競争する際に日本的な「控えめ」なんて発想は捨て去るしかない。

以前、アメリカのポートランドで行われた技術カンファレンスのビデオをYouTubeでチェックしていたら発表者に日本人のような名前が見つかった。「日系アメリカ人かな?」と思ってそのビデオをクリックすると発表者は日本の人だった。プレゼンの冒頭で「私の英語が拙くてすみません。でもがんばりますので我慢して聞いてくだい」みたいな内容を下手な英語で言ってて、最初の10秒で観るのをやめた。

別にそのたった一言だけで観るのを辞めた訳でもない。英語とかプレゼンに対する自信の無さがその登場者の表情、ジェスチャー、言葉の抑揚の全てに現れていたので観るきが失せたのだ。自信の無い発表は「これは本当に聞く価値があるのか?」という疑念の原因にもなって、わざわざ時間を使って観てみようという気が無くなる。

どんなプレゼンでも終わった後に質疑応答の時間がある。ちょっといいプレゼンになるといろんな質問が飛び交うことになる。もちろん英語だ。そこで英語に苦手意識がある人だと、まくし立てるように英語で質問されてしっかりヒアリングできなかった時にうろたえてしまう。

そんな時にも自信満々にしていると怯えることなんかない。こっちはそのアイデアのためにずっと熟考してきたのだ。そんなプレゼン聞いて3秒で思いついた程度の質問に負ける訳が無い。
私が前回プレゼンの際に質問を受けて言ったのはこうだった「その質問は**に関することだね。他にもいろいろ意見をいただいたけど私からするとさほど重要には思えないので割愛させてもらう。ここでは**に関して詳しく説明させてもらうよ。それはだねー。。。」という感じだ。別に質問が聞き取れなかった訳でもないし、答えてもよかったのかもしれない。ただここで言いたいのはあくまで主導権は発表者が持つべきで、堂々としていればワガママは許されるどころか、むしろ発表のクオリティを上げる。「テメーのボケた質問はいいから、それより今から言うオレの話を聞け」という態度をされたら、なんかいいこと聞かされている気になるのだ。

内容やアイデアがショボければ練り直さなければならない。少しでも「内容ショボいな」と思ってしまえば自信は手に入らない。英語が苦手なら練習して完璧にしておくべき。話す内容を紙に書いて、それを読むなんて論外だ。そんな葬式の謝辞みたいな方法で人の心が掴める訳がない。話す内容は詳細まで頭に叩き込んでおくべき。自信はこうした準備の積み重ねでしか手に入らない。

したがってプレゼンというのはある意味、その発表日までに蓄積された発表者の自信を測る場とも言える。とにかくプレゼンにおいては自信を持つべし、と。

スティーブ・ジョブズ 驚異のプレゼン

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図解 スティーブ・ジョブズのプレゼン術

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【読者質問 11】海外転職において専攻はコンピュータ・サイエンスであるべき?

ご質問ありがとうございます。まずは質問から。

はじめまして。大学などの専攻に関して質問させてください。
海外で働こうとする際に「大学あるいは大学院でコンピューターサイエンス(CS)を専攻していることは重要」と言うのはよく聞く話です。

そこで質問なのですが、「CSを専攻していること」と言うのはどの様な意味で重要なのか教えて頂けませんか?
CSに分類される学問に属していたことが重要なのか、実際に研究して出した論文の内容がCS寄りであることが重要なのか、採用とVisaに絡めてよろしくお願い致します。

まず「コンピューターサイエンスを専攻していることは重要」というのはITエンジニア職においては本当の話。ベルリンのような国際都市で多国籍なエンジニアチームと仕事をしているとほとんどのエンジニアが大学時代はコンピュータ・サイエンスを専攻していたのが実情。

そしてこの回答を詳しく説明するには「ビザの問題」と「採用基準の問題」を分けて考える必要がある。まずは採用基準から回答すると、中途採用の場合は学科や学部、大学がその応募者の選考に大きく影響することはほぼ無い。アメリカのとても有名な大学をトップの成績で卒業した、とかなら別だがそうでもない限りは基本は大学名や専攻内容を採用基準にしていない。採用基準にされるのはあくまでその人が持っている技術であって、学歴ではない。

それでも海外転職に挑戦して面談をするときっとこの質問を受けると思う。私も何度もこのセリフを聞いた。
「ところで大学で何を専攻してたの?え?コンピュータ・サイエンス?じゃあ完璧だ。」

これは「コンピュータ・サイエンスを専攻した人=優秀な人」と言う意味では決してないので勘違いしないこと。ここで言う「完璧だ」は100%ビザに関すること。

ビザはその国の制度にもよるが就業予定の職種と大学で専攻していた内容に関連性があることが基本的には求められる。例えば「文学部で文学を専攻して、ITエンジニアとして仕事するつもりです」とやってもあまりに関連性が無いので大学の卒業資格がビザでは使えなくなる。そういう意味でITエンジニア職に応募した人の専攻内容がコンピュータ・サイエンスであると、ビザ申請がカンタンに通るのだ。

工学部であればちょっとはエンジニアに関係ありそう、と捉えてもらって例えコンピュータ・サイエンス学科でなくてもビザの基準を満たしているとなるケースが多い。(その国の制度による)ほとんどの日本の大学は学部を「情報工学部」とか漢字で表しているので、その英語訳がどうなっているのかは学生は意識していない。そこはしっかりチェックした方がいい。あんまりITに関係無いかもなー、なんて思っていてもなぜか英語訳に「Computer」とか「Information Technology」とそれらを連想させる英単語が入って入ればITエンジニアとしてのビザ基準を満たす可能性が大いにあるのだ。ちなみに英語訳は大学のウェブサイトでも確認できるし、正式には英語版の卒証明書に記載されている。

また以前、勤めていたシンガポールのIT会社にてとあるブラジル人がマーケティング部門に応募してきた。みごとに選考プロセスを通過してオファーを出したのだが、その人はアメリカの大学でスポーツビジネスを専攻していた。その会社の商売はITであって、スポーツビジネスにはまったく関係が無かった。とても厳しいシンガポールのビザ基準を通過するのは困難であることは予想された。ところが会社の人事の人とそのブラジル人応募者が一緒になって、シンガポール政府に「会社がスポーツ分野に進出する可能性もあるかもしれないし、なによりそういうスポーツビジネスの興行の仕組みを当社のITにも応用していくのが戦略であって、ぜひともこの人材が必要なんです!」みたいな文章を作って、強烈にプッシュしてビザ申請していた。そして結果はみごとにビザを獲得していたのだ。

つまりは一旦、会社からオファーをもらえばその後のビザ申請は会社と協力して行うことになる。会社としてもせっかくオファー出した応募者をビザが取れずに逃す、なんて事態は避けたい。なのでオファー取得後は会社も協力してれるはずで専攻内容が多少は畑違いであっても、まったく望みが無いとは言い切れない。

結局、働く場合において重要なのは学部の英語訳だけだったりする訳で、ご質問にあった「CSに分類される学問に属していたこと」とか「実際に研究して出した論文の内容」というのはエンジニア職においてはどっちもあまり重要ではなかったりする。私も何度もエンジニアの応募者に技術面談をしているが、応募者が書いた論文を読んだことなんて一度も無い。エンジニアの場合は論文よりもまともに動くコードが書かれたGitHubの方がよほど重要になるだろう。

世界各国から応募者が集まる多国籍チームの場合、その応募者の過去の学歴というのは国によってまちまちでアテにならないのだ。ウクライナの大学での成績や専攻内容とアルゼンチンの大学と専攻内容を比較して優劣が付けれる奴なんていない。そんな意味不明なことはしないで、コーティング面談で技術力を測った方がよほど正確に即戦力が把握できる。

と、これはエンジニアの話であってもし研究職に応募される予定であれば、論文はとても重要なのでそこはご注意ください。

以上が「海外転職において専攻はコンピュータ・サイエンスであるべき?」の回答でした。

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