ベルリンのITスタートアップで働くジャバ・ザ・ハットリの日記

日本→シンガポール→ベルリンへと流れ着いたソフトウェアエンジニアのブログ

『多動日記(一)「健康と平和」: -欧州編』(著:高城剛)書評

高城剛の多動日記がやたらに面白かったので書評を書いた。

Kindle Paperwhiteで読む時はだいたい気になった箇所を指でなぞってハイライトを入れるのだが、たった1冊の本でこんなにたくさんのハイライトを入れた本はあまりない。以下がハイライトを入れた箇所。

「なんで、そんなに旅行に行くのか?」と聞かれることもあるが、面倒くさいので「仕事」だの「遊んでるだけ」など、その場に応じたり応じなかったりして答えているが、逆に聞きたい。「いったい、なぜ、同じ場所にいるのか?」と。

程度の差こそあれ、移動しまくれば同じ場所に居続けることはちょっと変だな、と思うようになる。
 

米国の科学者デイブ・ホイットロックは、服を着ると同時にシャワーを浴びる方法を編み出した。簡単に言えば、僕らが知っているシャワーではなく、博士が開発した「マザー・ダート・ミスト」と呼ばれるミストを頭に振り掛ければよいだけだ。このミストを使って、件の科学者は、もう12年間もシャワーを浴びてないそうだ。  僕もこの記事を機内で偶然目にした雑誌で読み、早速コンタクトをとって、ベータテスターを申し出た。

この高城氏の機内でなにかピンを来るモノを読んだら即その人にコンタクトを取って会う、という強烈な行動力。見習いたい。
 

シリコンバレーの多動な人々は、日に何本もコーラを飲むのが特徴で、一応ライトやダイエットタイプだが、オフォスにある冷蔵庫からコーラを頻繁に取り出し、常に飲んでいるのを見かける。

英語圏のITスタートアップで働きだして、オフィスに常備されている社員用コーラの飲む量が尋常ではないのにちょっとびっくりする。特にアメリカン。「そんなに飲んだら体に悪いぞ」とついつい言ってしまう。
 

わずか10リットルのバックパックだけで、世界をまわっている。まるで、品川から新宿に行くように、今日はチューリッヒからサルデニアへと向かっている。軽装だと、結果的に(気分的に)ワンストップの滞在時間は短くなって、毎日毎日移動している。「そんな生活をして疲れないか」と聞かれることもあるが、たいした荷物もなくて、ある日品川から新宿に行き、翌日に新宿から吉祥寺に行っても疲れないか、と聞く人はいないだろう。

旅行の荷物は軽装に限る。ヨーロッパでは旅行者をよく見かけるがでっかいスーツケースを転がした重装備の人が少なくなっている気がする。
 

江戸時代なら違う。日本橋から新宿に向かうことは大変な旅路で、新宿はその名の通り、ひとつめの宿場町だった。そこから武蔵の国である吉祥寺に行くことは、当時は国境を越えると言われていた。僕がある日、イスタンブールからロンドンへ移動し、翌日ロンドンからベルリンへと向かうことが大変だろうな、とお感じだったら、その移動に関する考え方は、江戸時代的旅思考なのかもしれない。

国境を超える旅行が本当に手軽になったな、と感じずにはいられない。
 

この原稿を、コルシカ島からトゥーロン行きのフェリーのコンパートメントで書いている。
2時間前に空港に行き、年々厳しくなるセキュリティチェックや手荷物の重量の件で揉めて、毎回嫌な思いをする飛行機より、ギリギリに港に行って、なんの検査もなく飛び乗る船旅は心地よい。ちょっとした大型船であれば数十ドルで個室が借りられる上に、電源もwifiもある素晴らしい空間も魅力だ。

これは私もシンガポールに住んでいた際に思ったこと。シンガポールは港街(国?)であることから大型の船による船旅がたくさんある。船にはプールなんかも付いていて、そんな船でゆっくり旅行するのが心地いいのだ。
 

(キルギスにて)
首都ビシュケクに行く際に、BPのガソリンスタンドがあるのを見て、「イギリスは中央アジアにも入り込んでいるだね」と迎えの人に話したら、「あれは、ブリティッシュペトロールじゃなくて、ビシュケクペトロールだよ」とご丁寧にも教えてくれて、しかし、ロゴも似ている上にカラーもブリティッシュペトロールと同じことから、この旅は普通ではない予感が漂った。

高城氏のように旅慣れた人なら、ちょっとしたガソリンスタンドでもここまで分析できるのか、と。
 

また、マクドナルドがあるかどうかは、アメリカとの距離感も意味している。キルギスもそうだし、キューバにもマクドナルドがないのはモチロン、最近ウクライナ情勢でアメリカと揉めているロシアのマクドナルドは、事実上営業停止に追い込まれた。

ベルリンも意外なほどマクドナルドが少ない。
 

グローバリゼーションの最大の問題は、フラット化するとともに比例する、あたらしい民族大移動にある。それは、富が移動し偏重するからで、人はそれを追いかけるように移動する。

ベルリンに居るともう民族大移動はとうの昔から始まっていることを実感する。
 

世界中の発泡水を飲んだと自負している僕のお気に入りは、スペインの「ヴィッチーカタラン」、グルジアの「ボルジョミ」だが、その次にコルシカの「オレッツァ」を入れても良い。

ヨーロッパには美味い発泡水がいろいろあって、飲み比べるのが楽しい。
 

(現代社会の依存について)
安い快楽や便利に溺れる日々を送ることになっていくのだ。精製された砂糖たっぷりの間食やB級グルメ、そして仲間との盛り上がりが安定剤として機能し、自分を取り戻すことがどんどんできなくなっていく。そんなどうしようもなくなった時に、僕はひとりで旅に出ることを、あらゆる人たちに強く勧めてきた。

旅の効果っていろいろある。
 

情報革命はすでに終わり、これから移動革命の時代に本格的に突入する。同時に、ひとつの場所にとどまり、同じ仕事を続けるのはロボットおよびロボットのような人の仕事になるだろう。

今はそれなりに華やかに見えるソフトウェアエンジニア職も移動革命の時代において同じことばっかりしていたら、安泰とは言えない。
 

ちなみにこの原稿はアテネの空港で乗り換え時間に書いているが、ベンチに電源コンセントがついているのは実に画期的だ。フリーWi-Fiが飛ぶ空港は多いが、各ベンチに電源コンセントを装備している空港は、まだ少ない。

シンガポールのチャンギ空港はフル装備。空港内でしばらく暮らしてエンタメまで楽しめるレベル。サイコー。
 

ザキントスの絶景は、そのまま宮崎アニメに出てくるが、果たしてこの光景を実際に見て描いたのか、そうでないのか気になる人もいるのだろうが、風景には著作権がないので、パクリではない。難破した船をそのまま置いて、観光資源に。日本だったら、難破船などすぐに片付けるだろうが、日本の地下水脈からはじまったアニメは、それを描いて大金を稼いだ。

ここ今度行く。
 

テレビではオーストラリア政府が優秀なギリシャ人の移住を歓迎するCMが流れ、国家や地域、なにより、そこに暮らす友人たちに依存していない人たちは、真っ先に混乱を脱した。それは1%だったはずの地場の金持ちではなく、いわゆるインディペンデントな人々だった。

これからの時代を生き抜くために必要なのはカネではなくインディペンデントであるためのスキル。
 

かつての日本であれば終身雇用であり、家を持つことが幸せであるという刷り込みを前提にした高額な住宅ローン、そしてマイナンバー制度に至るまで、人々を「ソフトに固定」することに、いまも体制は余念がない。

案外、人は気付かない間に固定されてしまいがち。
 

国家がゆっくりと破綻に向かうと、そっと距離を置くのは、まずは技術者や文化人である。

私の周りで気軽に国境を飛び越えるのは全員が技術者。
 

イタリアは、この5年で経済だけではなく、あっとう間に魅力がない国へと転落してしまったのだ。

先月、行ってきた。今でも楽しい国だとは思うが景気は悪そうだった。
 

街角に立つドラッグ・ディーラーは、手ぶらが基本だ。その理由は簡単で、警察に突然身体検査をされても、なにも出てこないからだ。

なんで高城氏はこんなことまで詳しいのだろう。
 

このカレー屋に行くのにチョットした覚悟が必要なのは、常にこの店を秘密警察がウォッチしているからだ。それに気がついたのは、数度通ったあと、ある日店から出てきてしばらく歩いていると、突然3人に囲まれて尋問されたからだった。  確かに僕は見方によっては、中東や西アジアからの移住者に見える。その時にわかったことは、彼らが秘密警察であること、僕がいままでもその店に数度訪れたことを知っていたこと、そしてあの店が言われるように普通の店ではないことだった。  映画ではないので大きな展開はなく、この話はここまでだが、僕はIDカードに記載されている外国人登録ナンバーから日本人であることが証明され、難を逃れた。そして映画ではないが、秘密警察のひとりは驚くほどの美人だった。

このエピソードめちゃ面白い。
 

(日本について)
いまだに社会主義の東欧諸国やホーチミンの国内線ターミナルと福岡空港あたりはよく似ていて、「この国は社会主義だっけ?」と、毎度のように感じている。まるで建物に「贅沢は敵だ!」と書いてあるように天井は低い。

確かに日本の景観には大きか改善の余地がある、と思っていたが高城氏の見解は単なる建築デザインにとどまらずそこに暮らす人の思想にまで及ぶ。
 

国際競争力で上位だ、と勝ち誇ったように言われているシンガポールを見れば、よくわかる。アメリカの美味しいところどりして、不味いところにはけっして手を出さない。

おっしゃる通り。
 

(ベルリンのクロイツベルクについて)
一般的にはトルコ人を中心とする移民街として知られるが、80年代のダウンタウン・ニューヨークのようなカオスがあり、エッジな店も増え、いまベルリンでもっとも面白いエリアだと思う。そう言えば、緑の党、カオス・コンピュータ・クラブ、ベルリンテクノはここから生まれ、世界を席巻している音楽ソフトのいくつもが、この地域から登場している。

あの地区を紹介する旅行ガイドブックはきっと無い。この本以外は。

こうして部分的につなぎ合わせて読んでも面白いことには変わらない。が、この本の本当のエッセンスは全体を通して読まなければ掴めないと思う。高城氏のような移動しまくる人が各地で得た見識を次々に披露して、そこに考察を加えるというスタイルから得られるのは単に「**という国に**がありました」では終わらない。私にとって本書は旅行ガイドブックなんかではなく、むしろ哲学書に近い。
高城氏の本はぶっちゃけ当たりハズレがある。それも見事にホームランか空振り三振のどちらかだ。高城氏に中途半端な内野安打は無い。本書はまちがいなく場外ホームランの本と言える。とにかくおすすめです。

Kindleで読むと指でハイライトを入れた箇所がクラウドで共有される。書評をブログなんかに書く人なら、紙の本で読むよりだんぜん書評が書きやすい。

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【読者質問 12】ランチ中の英語の会話

ご質問ありがとうございます。

社員とのランチなどで交わされる英語の会話についていけてますか?

ランチ中の会話が英語になってから6年ほどになるのでさすがに慣れた。英語での会話は仕事中よりもランチ中の方が話題が多岐に渡るので難しい。ただそうした場での会話が楽しめないと海外移住の本当の楽しさは半減する。

まだ英語の会話に慣れない時期の対策としては「自分から話題を提供すること」。これに尽きる。

ランチ中の会話でなにが難しいのかというと、いきなり自分の知らない、もしくはまったく準備していない話題を振られて、それに対応すること。だったら予めこちらで用意しておいた話題を振ればいい。話題の主導権を握ることは想像以上に英会話をスムーズにする。

英会話が苦手だからと言って黙っていると、不意に話題を振られて即興でその話題に対する回答をしなければならなくなる。しどろもどろになってちゃんと返答できなければ「アイツってしゃべれないのか?」などと思われてどんどん社内の立場が危うくなっていくので、そこは無理をしてでも自分から話題を提供した方がいい。

ある程度、話題を提供していると慣れてくる。言い出し方はこんな感じ

「おい、住む場所によって年収が決まるって話があるの、知ってるか?」
「おい、オレはもうこれからのAI時代に備えて今日からコーティングをやめようかと思うんだ」
「おい、鏡を使って自分の肛門をじっくり観察したことがあるか?」

もしブログを書いていたらそれをそのまま英語に訳して言うだけ。ブログとか書いた時点である程度の考察が自分の中にあるので言いやすい。

ポイントは英語でどう言うか前もって準備しておくこと。これは日本語でも同じ。意識してても無意識でも人が話すことのほとんどは予め自分の脳内で用意していたセンテンスをつなぎ合わせているだけ。母国語であってもその場の即興で話題をゼロから生成することはほぼ無い。以前から考えていたこととか、以前に他の誰かに話した内容を編集して話している。そうでもなければ誰も即興でそんなにたくさんは話せない。

母国語でも難しい即興の会話を第二言語を使ってできる訳がない。

したがって私は今でも時々「明日の話題」を独り言のようにブツブツ言って予行練習をしている。

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友人を作る方法はただその人への興味を真摯に伝えること

街の印象というのは人それぞれだが、私からすればベルリンは出会いの宝庫だ。世界中から人が押し寄せ、人種国籍に関係なく混ざり合い、そこで生まれた交流がまた新たな交流を生む街だ。

先日、子供を通じてあるドイツ人のおばさんと出会った。詳しい年齢は知らないがおそらく50代か60代ぐらい。英語はとても流暢で、美しい金髪をなびかせた人で、若い頃は相当な美人だったことは容易に想像できるキレイなおばさまだった。私はもちろん彼女に興味を持っていたが、彼女も何か私達日本人家族に興味を持ったようで私と家族を家に招いてくれた。知らされた住所を頼りに彼女の自宅へ行ってみるとヨーロッパの城みたいな大きな家だった。出会った時はまったく分からなかったがお金持ちのおばさまだったのだ。

ヨーロッパ風の家の中にある豪華な暖炉に火を灯して夜まで色々と話しをした。話をするうちに分かってきたのは、彼女は7年ほど前に旦那さんを亡くし今は未亡人であること。若い頃から世界各地を周っていること。アジア、アフリカでの居住経験があり、旅行もかなりの回数で行っている。部屋の中をいろいろ見せてもらうと、アフリカ文化を感じさせる家具や置物が多くあり、それらに混じって日本の食器や家具、絵画も見えた。彼女が世界各地の文化に対する造詣が深いのは部屋からも伝わってきた。

家に訪問する前は私は勝手に「典型的なドイツ人のおばさん」と思っていたのだが、彼女は典型的ドイツ人とは言えないほどに特殊な人生を歩み、今でも現在進行系で活動していることが分かった。私の子供達も豪華なヨーロッパ風の屋敷の中でそのおばさんから次々に出てくる摩訶不思議な話に興味津々な様子だった。

また彼女も私がITエンジニアとしての仕事を使って世界の都市を移住するスタイルが彼女の世代では無かった発想のようで興味を持っていた。
先月から彼女はモロッコにある別荘に3週間ほど滞在し休暇を兼ねた仕事をしているそうだ。

それとはまったく別の日に私が道に迷った際に英語で道を尋ねた男が居て、そいつがやけに親切だった。年は30代半ばぐらいだろう。いろいろ話すうちに彼はドイツ人ではなくシリア人でしかも出身はあのアレッポであることが分かった。職業はドイツの大学で化学分野の研究をしている、とのことだった。ちょっとした立ち話だけだったが、私は彼にとても興味を持ったので、連絡先を交換して次の週に自宅に招いた。

私は彼にひとつ頼み事をした。「家に子供が2人居る。2人とも英語はネイティブなので子供達にあなたがアレッポで経験したことを話してくれないか?」と。快く承諾してくれた彼は当日ラップトップのPCを持って家に来た。アレッポの写真をラップトップに出して、様々なシリア情勢を子供にも分かるように丁寧に説明してくれた。かつては400万人都市だったアレッポが紛争により今では100万人となってしまった現状を生の写真と共に話してくれた。子供だけでなく親の私が聞いてもとても考えさせられる内容で、貴重な体験となった。彼曰くアレッポで英語を話せる人の割合は5%以下だ、と。外国の大学で研究をするような頭脳の持ち主から英語で生のアレッポ情勢が聞ける機会なんてそんなにある訳がない。

彼のそんなシリア情勢の話と同じかそれ以上に私が興味を引いたのは彼の生きる姿勢だ。祖国が悲劇に見舞われる中でも彼は自分の研究者としての資質を世界に問うべく努力している。彼は「シリア人に対する差別が一切無いとは言い切れない。でも研究の成果は科学的であるだけで国籍は関係ないはずだよ」と言っていた。そんな彼の人柄と生きる姿勢から大いに感銘を受けた。

こんな風にベルリンは様々な出会いに溢れている。私は彼らとの交流を通して「いかに自分が世界を知らなかったか」を知る。この感覚は私の人生をより豊かにしてくれる。そしてそんな体験はどんなにカネを払ったところで簡単には得られない。
これらの人脈を得るために私は「友達を増やすクラブ」に入会した訳でもないし、大金を払った訳でもない。ただ出会った人に対して誠実に関心を示しただけだ。

「魅力的な人と知り合いになるには、あなたも同じぐらい魅力的でなければならない」なんて結婚相談所のキャッチフレーズみたいなことを言う人もいるが、これは私の感覚とは異なる。人はなにも物々交換みたいに知り合いになるのではない。「あなたの魅力ポイントは300で私のポイントは310。だいたい同じレベルですね。友達になりましょう。あの人は120ポイントしか無いから放っときましょう。おっほほほほ」なんて言い出したら気持ち悪くてしょうがない。

そうではなく、本当にその人に興味を持ったらただそのことを真摯に伝えるだけでいいのだ。芸能人みたいな人気商売をしている人でもない限りは、興味を持ってもらうことで不快に感じる理由も無いだろう。目の前に面白ろそうな奴が居たとして、その瞬間にできることは「お前ってオモロイなー!」と言うことぐらいで、その時になって「自分の魅力磨き」なんかしても意味が無い。

ここに書いた2人は国籍も人種も性別も年齢も、食べ物の好みから笑いのツボまで、なにもかもが違う。まったく違う。それでも私には彼らが同じ属性にも思える。2人とも英語が堪能で国際経験が豊富という人達だ。これは職場の同僚達にも当てはまる。エンジニアチームには地元民はおらず全員が外国人で誰もが多彩な国際経験を持っている。私の興味と重なる部分を多く持っており、どんなに会話を交わしてもいつまでも興味深い連中で、ひとことで言えば気が合う奴らだ。

私の人脈というのは多国籍で多種多様なように見えるが、よく考えると全員がある意味で同じ属性の人なのかもしれない。それは英語を話すグローバル型の人達だ。

私には地元で慣れ親しんだ交友関係の中で何年も前に共有した体験を語り合って「懐かしいよねー」と言えるローカル型の友人は居ない。生まれ育った地元を離れることなくそこで過ごす人生にはそれ相応のメリットがあるだろうし、否定するつもりは無い。またローカル型の人生を送る人におせっかいに移住なんて勧めようとも思わない。
ドイツにもそうしたローカル型の人達もきっと居る。ただ私がドイツ語ができないことなども機縁となってそういった人達との交流が今のところ無い。

異文化に対する知的好奇心がグローバル型にさせ、グローバル型同士での交流が加速度的に増えていく。ローカル型も同じローカル型の人達との交流が活発化する。つまりは両者間の断絶がより一層深まる傾向にあるのだ。ここで言う「断絶」とはアメリカの赤い州と青い州とか、都市部と地方、ローカルとグローバルなんかで表現される両者間の断絶のこと。

政治家や評論家はこの断絶にいろんな理由を付けて、その背景なんかを論じるのだろうが、そんな話にあまり興味は無い。私達ひとりひとりにできることは自分のやり方で思う存分に人生を楽しむことだ。私は多種多様な人達との交流をなによりも大切にしていて、それこそが人生を豊かにする手段のひとつであって、これからも続けて行きたいと考えている。

寂しさと共に生きる人間という生き物にとって、他者との出会いが非常に大切なもので、しかもそれは簡単ではないということを、わたしたちが本能として知っている。わたしたちのあらゆる努力はよりすばらしい他者と出会う可能性を高めるためにある。 - 村上龍

ローカル型の人達を知る上で「ヒルビリー・エレジー~アメリカの繁栄から取り残された白人たち~」は衝撃的だった。私が知らなかったアメリカ人の実像が本書にあった。

ヒルビリー・エレジー?アメリカの繁栄から取り残された白人たち?

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Hillbilly Elegy: A Memoir of a Family and Culture in Crisis

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